私の近況2018
1月3日 サンフランシスコバレエ 「くるみ割り人形」


昨年の年末から新年にかけて、息子一家の住むバーリンゲイム(サンフランシスコとシリコンバレーの間にある市)で過ごしました。クリスマスシーズンとも重なり、この時期恒例のサンフランシスコバレエの「くるみ割り人形」を皆にプレゼントしました。総勢で6人ですから、随分と気前の良いプレゼントになりましたが、それだけの価値のある贈り物となりました。
通常のバレエ公演は5、6歳以上でないと入場できないのですが、「くるみ割り人形」に限っては4歳まで許されています。そのおかげで、4歳の孫も見ることができました。最後まで退屈せずにいられるのか、少しばかり心配でしたが、全くの杞憂で、最後までしっかりと見ていました。
感心したのは、子どもを退屈させない演出が、ここかしこに仕込まれていることでした。子供向けの童話風の舞台展開にしたり、そろそろ退屈するかなと思うころになると、舞台をドラマチックに変化させたり、子どものバレリーナを出演させたりと、小さい子供でも集中力を持続させる工夫が随所にちりばめられていました。第一幕最後の雪の場面などは、舞台の後ろが見えなくなるくらいの雪を降り続けさせて、その物量には圧倒されました。舞台造りにお金を惜しみないのも、アメリカ的だと思いました。
本物のバレーを求める人には物足りなかったとは思いますが、とにかく子どもから大人までの聴衆を楽しませることに徹する精神には、アメリカらしさを感じさせました。物量をかけて、質を落とすことなくエンターテイメントに徹するところは、アメリカの真骨頂ではないでしょうか。ヨーロッパの本物志向も良いですが、アメリカの質の高い娯楽性も良いものだと思いました。
後日マリンスキー劇場の「くるみ割り人形」を、NHKのBSプレミアム劇場で観ましたが、別物でした。舞台も、踊りも、音楽も、サンフランシスコバレーよりも一段も二段も上でした。
1月8日 アメリカの魅力は広大な自然
写真 サンフランシスコ周辺の大自然

Pinnacles National Park

Big Sur
昨年末から年始にかけて、息子一家の住むBuringameで過ごしました。車であちこちと連れて行ってもらいましたが、サンフランシスコの周辺だけでも、車でフリーウェイを1、2時間も走らせると、そこには広大な大自然が広がっています。アメリカの真の魅力を改めて知りました。
短時間の観光ではなかなか行けないところに、現地の人たちが勧める魅力的な場所がたくさんあることを知りました。進んだ文明社会はアメリカの一面でしかなく、まだ手付かずの、西部開拓時代からとそう変わらない世界が広がっています。アメリカという国の広がりの深さを改めて実感しました。
今回行ったところは、
Point Reyes サンフランシスコの北、灯台がある
Lands End ゴールデンゲート公園の先
Golden Bridge Vista Point ゴールデンゲートブリッジを渡った所にある小高い山
Pinnacles National Park Monterey近くにある国立公園
Point Lobos State Historic Park カーメル(
Carmel-By-The-Sea)に続く海岸
Big Sur Point Lobosに続く海岸地帯
1月16日 冬の風物詩 田んぼのスケート

田んぼのスケートリンク

私の子どものころは、冬になるとて校庭に水をはってスケートをしました。即席のスケートリンクです。学校が始まる前や、朝の体育の時間にスケートをしました。当時は下駄スケートというもので、足袋をはいた足に紐でスケートの刃が付いた下駄を括りつけました。子どもの手では縛り方が不十分で、すぐに緩んできます。その上寒くて、足が凍えてきます。結局、スケートは上達しませんでした。
田舎に行くと、田んぼに水をはってスケートをしていました。富士見でもつい最近まで見られましたが、冬の気温が高くなってきて、十分に凍らなくなってきたためか、次第に見かけなくなってきました。
残念なことです。
家から4Kmくらいの所にある、八ヶ岳のすそ野にある立沢地区の小学校では、今でも田んぼに氷を張ってスケートをしています。ここは標高が1100mあり、朝の冷え込みは-10℃くらいになりますから、十分に氷が張ります。今朝、ここまでウオーキングをしていくと、子どもたちがスケートをしていました。いつまでも続いてほしいものです。
1月26日 クルレンティスの『悲愴』と『ドン・ジョヴァンニ』
Currentzisと Musicaeternaによる、チャイコフスキーの『悲愴』とモーツアルトの『ドン・ジョヴァンニ』には衝撃を受けました。グレン・グールドを初めて聴いた時に受けた強烈な印象と似たところがあります。とにかく今までの演奏スタイルとは異なるもので、表現の幅が格段に広くなり、聴くものを引き付けて最後まで離さない力があります。面白い人が現れたと思います。鬼才とと言うべきでしょう。
1月27日 米国にいれば日本の高校レベルの表現を4歳児でも話せる
『日経ビジネス』の記事に池田和宏氏の『進化する学習法・英語教育の最前線』というのがありました。なにげなく読んでいたのですが、ある中学校での体験部分に目が留まりました。
「中でも私が驚いたのは、生徒の中に、might(もしかすると~かも知れない、may よりも各進度が低い)やIf I were・・(仮定法過去)など、現行カリキュラムでは完全に高校内容で、かつ日本人にはまず使えない表現を、正確に使いこなす生徒がいたことです。これは、これまでのように文法演習をチマチマとやっていては絶対に不可能で、内容や意味に焦点をおいたかなりダイナミックな訓練を行っていることが伺えました。」
いう部分です。実はこれと似通った体験をしたことがあります。
4歳になる孫ですが、プリスクールに3歳から半日通っています。それなのに、すっかり英語が話せるようになり、上記のような、日本人でも高校生にならなければ習わないような表現を普通に使っているのです。恐らく先生から何度も聞いているうちに、自然に覚えたのでしょう。
日本の学校の英語教育はまだ「語学」の域を出ていないような気がしてなりません。
2月13日 ホームページ・ビルダー21へ更新
この一週間ほど、暗澹とした気持ちで過ごしていました。一つは株の大幅な下落と、もう一つは、ホームページを作成するためのホームページ・ビルダー12が突然開けなくなったことが原因です。
株はどうしようもありませんが、ホームページ・ビルダーの方は解決策を検索しても有効な情報が得られません。発売元のジャストシステムズに電話しても、サービス期間が終了しているということで、相手にしてもらえません。メールでの問い合わせに対しては、Windowsのアップデートが原因だろうということで、最新のヴァージョンに入れ替えるしかないとのことです。仕方なく、最新ヴァージョンのホームページ・ビルダー21を購入しました。
やはり新しいヴァージョンは動きが早く、この記事も今までよりもスムーズに作成できています。もっと早くソフトを更新すべきであったようです。
2月14日 5年振りの御神渡り

赤砂崎から 御神渡りと富士山
赤砂崎から岡谷方面
岡谷側から下諏訪方面
このところの寒波で諏訪湖が全面結氷し、1013年1月以来の御神渡りができました。さっそく見に行ってきました。諏訪湖周辺を歩きながら、先ず下諏訪の赤砂崎からの一之御神渡りを見てから、岡谷に回り、この御神渡りの反対側の端を見てきました。御神渡りの両端を見たことになります。
御神渡りは、氷が厚くなると夜間の冷え込みで氷が収縮して亀裂が生じ、この亀裂にできた氷が、昼間の温度上昇とともに膨張して、亀裂の部分の氷を持ち上げられることによって作られるということです。御神渡りのできる場所は、年により変化するようです。
2月23日 磯山雅氏のご冥福をお祈りいたします
旅の途中で、磯山氏の訃報に接しました。昨年夏の中学校の同窓会で会って、話をしたのが、最後になりました。大変惜しい人を亡くしました。もうFM放送の「古楽の楽しみ」で、声を聞くことができなくなると思うと、寂しさと悲しみを感じます。
彼とは、中学、高校が一緒で、昼休みには校庭の片隅で、弁当を食べながら色んなことを話したのを懐かしく思い出します。高校卒業後は、進路が異なり、会う機会は持てませんでしたが、著書やFM放送などを通じて、音楽の世界での活躍を誇らしく感じていました。まだこれからという時に、残念でたまりません。
2月25日 95歳の母を連れて伊豆旅行

石廊崎
今年の3月で96歳を迎える母を連れて、家内と三人で伊豆へ二泊の温泉旅行をしてきました。母は膝の具合が悪く、歩き回ることは無理ですが、それでも1Kmの遊歩道を歩いたり、河津桜を見たりしました。あいにく、今年は河津桜が咲くのが遅れていて、まだ開き始めでしたが、伊豆半島のあちこちで、その地の桜が美しく咲いていました。
母は食欲旺盛で、旅館のバイキングなどは、夕食も朝食も、私よりもたくさん食べていました。食欲と旅への意欲が、元気の源であることを実感しました。
これからも時々は旅行に連れ出そうと思っています。
2月27日 故磯山雅君を偲んで「マタイ受難曲」を聴く
グスタフ・レオンハルト指揮、ラ・プティット・バンド演奏の「マタイ受難曲」を久々に聴きました。なぜかというと、このCDのライナーノーツを磯山君が書いていたのを思い出したからです。
バッハ研究に生涯を捧げた彼の含蓄と深い洞察に貫かれた解説を読みながら、3時間にも及ぶバッハの最高傑作の一つを、春の暖かい日差しを浴びながら、たっぷりと聴きました。中学と高校時代の彼との思い出に浸りながら聴いたことは言うまでもありません。
「マタイ受難曲」の最後の言葉をここに捧げます。
憩いたまえ安らかに、安らかに憩いたまえ!
3月9日 米朝首脳会談
急転直下、トランプ大統領は北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長からの申し入れを受け、直接会談を即断しました。いかにも経営者出身らしい決断で、官僚や従来の政治家にはできない迅速な行動です。
このような決断には必ず批判的な意見が述べられますが、私はうまく進むような気がします。これは直感です。
北朝鮮は追い詰められていると感じます。今までのように、約束を反故にするような余裕はもはや無いものと思います。経済制裁と軍事圧力に金正恩は耐えられないのではないでしょうか。南北会談の時の彼の笑みは、弱い心の内を物語っているように感じます。
3月11日 25年目のリフォーム
我が家も築25年を迎え、リビングをリフォームすることにしました。汚れた壁紙を珪藻土に変え、作り付けの本棚を撤去して飾り棚に変更し、カーテンをドレープ・スクリーンに変えます。これにより、すっきりとした部屋になることを期待しています。
このリフォームは、アメリカに住む息子一家の客間が、ソファーとテーブルとマントロピースだけの、実にすっきりとしていた部屋であったのに刺激されてのことでした。
もう工事に入っていて、部屋は養生のピニールに覆われた状態です。この程度のリフォームですが、一週間以上の期間がかかり、思ったよりも大変でした。
これに合わせて、天井の蛍光灯ダウンライ12個ををLEDダウンライトに変えました。照明器具はインターネットで取り寄せ、自分で取り替えたので、2万円ほどで済みました。電気屋さんに頼んだらこの3倍は掛かったでしょう。床のニスもこれから自分で塗り替えます。
珪藻土も自分で塗ることを考え、メーカの講習会に参加したこともありましたが、下準備などを考えるとちょっと無理でした。
リフォーム業者はインターネットで検索して良さそうなところを選びましたが、誠実に一生懸命対応してくれています。大工さんの腕前はもう一つでしたが、大目に見ています。出来上がりも重要ですが、若い職人さんが一生懸命仕事をする姿を見るのはいいものです。
3月19日 頑張れ朝日新聞
慰安婦問題などで評価を著しく落としていた朝日新聞が、起死回生のホームランを放ちました。森友文書改竄のスクープです。
しかし、今日の国会での集中審議を見ても、政府側は逃げ回るだけで、真相は一向に明らかになりません。疑惑に対していかにうまく言い逃れるかの、模範解答を聞かされているようなものです。これは、若い人たちに毒を飲ませるようなもので、世の中をうまく渡るためには、どのように振舞うのが得策かということのお手本を見せているようなものです。天下の秀才が官僚となり、出世するための教訓を述べているような気さえします。
国会の究明は、文書改竄をやらせた側、あるいは改竄を指示した側の人間に対して行われています。これでは言い逃れをするだけで埒が開かないことは明らかです。文書改竄をやった人に聞けば明らかになるでしょうが、この人たちは、完璧に保護されています。
結局、真相究明には、担当した人たちのマスコミへの内部告発か、検察当局による捜査にしか期待は持てないのでしょう。
3月25日 リフォームの完了

部屋の全容
飾り棚
自作したパソコン・テーブル
築25年後の初めてのリフォームが完了しました。多少のトラブルや不満な点はありましたが、概ね期待通りの仕上がりになりました。
珪藻土の塗り壁は、部屋に落ち着きと居心地の良さを与えてくれます。カーテンを外してドレープ・スクリーンにしたのは正解で、窓枠が全部見えるようになって部屋が明るくなり、以前よりも広く感じられるようになりました。
作り付けの本棚を取っ払い、飾り棚を取り付けましたが、これも部屋の雰囲気を一変させ、ちょっとしたギャラリーのような一角になりました。
パソコンを置く台は、今まで使っていた昭和初期の古い机から、新規に作ったテーブルに替えました。このテーブルは、飾り棚で余ったパインの集成材で自作しました
4月8日 女難の安部首相
盤石であった安倍政権も、軽く見た森友問題あたりから足元がぐらつき始めてきました。森友問題が出てきたころ、これは扱い方を誤ると、蟻の一穴になりかねないと思ったが、杞憂ではなかったようです。
佐川氏の証人喚問では逃げられましたが、大物政治家も含め多くの人たちが指摘しているように、総理の「私と妻が関与していたならば、政治家も総理大臣もやめる」と強弁したことに肝を冷やした官僚が忖度し、もしかしたら総理周辺の政治家が働きかけて、文書を改竄したことに間違いないでしょう。
安倍昭恵夫人が、森友問題の原因の一つであることが、あまりにも明確であったからに他なりません。
加計問題でも、加計学園の経営する保育施設の名誉園長を務めた昭恵氏の影が見え隠れします。
もう一人は、元防衛大臣の稲田朋美氏です。今回また再燃してきた防衛省の文書隠蔽疑惑も、稲田氏が文書の捜索を、防衛省に明確に指示していなかったようです。稲田大臣は辞任することとで、一件落着と思っていましたが、ここにきて熾火に火が付いたようです。
安部首相自身は、女性関係には潔白なようですが、女性人事や自身の妻に足元を掬われているようです。
4月12日 現代に蘇るバッハのキーボード・コンチェルト
磯山氏の『バッハ=魂のエヴァンジェリスト』を読みながら、チェンバロ協奏曲を聴きたくなって、マレイ・ペライヤがAcademy of At Martin in the Fieldsを指揮し自らピアノ演奏するキーボード・コンチェルトを取り出しました。これは私のお気に入りの演奏で、何度聴いても素晴らしいと思います。
磯山氏の手引書には、ライプチヒ時代のコレギウム・ムジクムの第二期に、バッハが自らチェンバロを弾いて演奏するために、既存のヴァイオリン協奏曲やブランデンブルグ協奏曲などを編曲して、チェンバロ一台のための協奏曲に仕上げたとあります。高いレベルの安定した楽しみを与えてくれる、バッハの円熟期の作品とされています。また、古典派のピアノコンチェルトにつながる作品でもあります。
バッハのブランデンブルク協奏曲やヴァイオリン協奏曲は、曲の味わいや、音色のバランスから、古楽器による演奏の方がはるかに好ましく思います。しかし、ことチェンバロ協奏曲に関しては、チェンバロでは表現力が乏しく、音色も単調で、つまらなく感じてしまいま。歴史的な演奏としか感じられません。
バッハのキーボード曲は、協奏曲もソロ曲も、音色が美しく表現力が飛びぬけて高い現代ピアノで演奏する方が、バッハの音楽をより完全に表現できると確信しています。これはグレン・グールドの演奏を聴けば、納得のいくところでしょう。音色のバランスからも、現代ピアノで演奏する場合は、バロック・アンサンブルではなく、現代楽器の室内合奏が適しています。
ペライヤの演奏するキーボード・コンチェルトを聴きながら、バッハのピアノ・協奏曲は古典派の、とりわけモーツァルトのピアノ協奏曲につながるものであることを実感しました。バッハの緩徐楽章の美しさは、モーツァルトのピアノ協奏曲と双璧を為すものだと思います。
4月25日 失われたリーダの品位
先日BSで『柘榴坂の仇討』という映画を見ました。桜田門外の変で暗殺された主君井伊直弼の仇を討つ事を命じられた武士が、13年間も犯人を追い求め、明治6年の仇討禁止令が布告され他翌日、犯人と出会い果し合いをするが、最後には許しあい、二人とも生きることを選択するという、感動的なドラマでした。現代人が失った武士道の精神を思い起こさせてくれました。
それにしても、財務省幹部のセクハラ疑惑にはあきれます。これに関して、経団連の榊原会長が記者会見で「品位に欠ける。財務省の筆頭幹事として全くふさわしくない」と語っていましたが、真に当を得た発言だと思います。
「法に触れなけれが構わない」という堕落した精神が、最近の政界や官界に蔓延しているような気がします。日本人が誇る武士道の精神は消え失せてしまったのでしょうか。政治家や官僚の矜持というものは無くなったのでしょうか。
森友・加計問題を見ていると、首相から官僚に至るまでの、品位や品格の欠如というものを感じざるを得ません。
5月3日 Outlook 2016へ移行
Windows10にしてからもメールはWindows Live Mailを使い続けていましたが、写真メールが送信できないとか、動作が時々おかしくなるとかの不都合が出てくるので、ようやくOffice 2016を購入し、インターネットからダウンロードしました。
ここまでは良かったのですが、そこからが苦戦の始まりでした。まずは、Outlookが起動しません。昔のOutlookの電子メールプロファイルが残っていて、ここに原因があったようです。新たにプロファイルを追加することで、ようやく起動できるようになりました。ここに行きつくまでに、延べ半日を要してしまいました。
つぎに、メールファイルの移行ですが、途中で止まってしまい、エラーメッセージとともにWindows Live Mailが動作を終了してしまいます。調べてみると、メールにエラーが含まれているとそこで移行がストップしてしまうとのことです。これにはお手上げで、過去のメール全てをOutlookへ移行することは諦めました。重要なメールだけを選択し、幸いなことにこれだけはなんとか移行できました。
最後にアドレス帳をエキスポートしてOutlookへ移し、これでようやく使えるようになりました。
Microsoftのヘルプを参考にしたのですが、日本語がまともではなく、理解不能の箇所が至る所にあります。英語のマニュアルを機械翻訳しただけではないかと思います。
5月7日 草間彌生展
先日、家内と連れ立って、松本市美術館で開催されている草間彌生展を見に行きました。
その独特な世界に圧倒されました。独創的で、生命感にあふれ、宇宙の無限の広がりさえ感じる作品群でした。独特の色彩、水玉やその発展した造形に魅了されました。作品によっては、生命体の内部を覗くような、また魂の蠢くような、生き物の生命を感じさせました。
非日常的な、貴重な体験をしてきました。
5月15日 霧訪山(きりとうやま)
私の生まれた塩尻市の霧訪山に登ってきました。
あいにくと曇りで、せっかくの360度の展望を楽しむことが出来ず、カタクリの群生も既に花が終わっていましたが、新緑の美しい山道を楽しんできました。
実はこの霧訪山は、塩尻の下西条の裏にある山で、1300m程の高さがあります。下西条には親戚があり、子どものころはよく遊びに行っていましたが、この山のことはつい最近まで全く知りませんでした。偶然、入笠山で出会った塩尻の仲町在住の方から教えてもらって、とても良い山だから是非と勧められました。特に、カタクリの群生地が霧訪山と大芝山にかけての稜線にあるとのことでした。
下西条の山の神自然園から入るのですが、地元の人たちによってとても良く整備されていて、気持ちの良い所です。里山とは思えない、深い山の雰囲気を持っており、新緑の木々が美しく、ツツジが至る所で咲いていました。
帰りには、親戚の家に久しぶりに寄って、楽しい一時を過ごしてきました。次回は、カタクリの時期か、紅葉の時期に行ってみたいと思います。親戚の人から、地元の山岳ボランティアをやっている鈴木良明氏の書かれた『霧訪山の麓から』という本を借りてきました。
5月27日 『庭仕事の愉しみ』
先日、富士見町の図書館にあるミュージアムで、養蚕に関する浮世絵の展示会がありました。江戸時代から明治にかけて、養蚕が盛んだったころ、養蚕の様子を描いた浮世絵が広く流布していたようです。
私の住む富士見町に、この浮世絵を収拾されていた旧家があり、その蒐集品の一部を公開されました。養蚕に関する浮世絵ということで、記録的な物かと思っていたらとんでもない誤りでした。当時の浮世絵師たちによる本格的な浮世絵で、記録としてだけではなく、芸術的にも優れたものでした。このような美術品を蒐集されている奇特な方が片田舎にもいらしたことが驚きでした。
この富士見町は、高原地帯の田舎町ですが、結核のサナトリウムがあり、文化人たちが療養に来ていたり、アララギ派の歌人たちが夏を過ごしたり、詩人の尾崎喜八が一時期住んでいたり、大物政治家の別荘があったりと、文化的には開けた所でした。
このミュージアムの常設展示物の中に、尾崎喜八に関する一角があり、そこにヘルマン・ヘッセの『庭仕事の愉しみ』という本が展示されていました。尾崎喜八が愛読していたようです。ヘルマン・ヘッセにこんな本があったことに驚き、さっそく図書館で借りて読んでいます。
冬の寒さを耐え忍んだ庭は、一気に花開き、一年で最も美しい「奇跡の時」を迎えようとしています。この庭のベンチで、『庭仕事の愉しみ』を読むことを楽しみとしています。
6月10日 今年はバラが見事に咲いた
富士見では、バラが咲く時期に梅雨入りします。せっかく咲いた花が、雨で台無しにされてしまいます。花弁が多く、花弁の弱い花は、せっかく咲いても、雨にやられてしまいます。一重のバラしか育てない人もいるくらいです。
ところが今年は、昨年より10日も早くバラが咲き始め、雨の被害が少なかったようです。今日は雨降りですが、今のところ雨にも負けずに咲いています。せっかく咲いたシャクヤクは、やはり雨に打たれてしまいました。
6月14日 北朝鮮は変わりつつある
トランプ大統領と金正恩委員長の歴史的会談がありました。結果に関しては、米国が譲歩しすぎたとか、核廃棄に向けての具体性がないとかと、マスコミや評論家やその筋の専門家からは、大方辛口の評論がもっぱらです。
アメリカが一方的に譲歩して、北朝鮮の要求を受け入れたという論評が、支配的なようです。トランプ大統領は、早急に目に見える成果を演出したかったからだという見方が多数のようです。
このように考える前提にあるのは、北朝鮮は今までと変わっていないという見方です。はたしてそうなのでしょうか。
私は、首脳同士の直接の対話が鍵だと思います。おそらく本音を話あい、お互いに信じるに足ると確信したのでしょう。
北朝鮮は変わりつつあるのだと思います。若い金正恩委員長は、本心から北朝鮮を経済的に発展させたいと願っていると思います。おそらく、軍部が核放棄を反対しているのでしょう。日本の過去もそうであったように、軍部との戦いがあるのだと思います。
アメリカもこの辺の事情を考慮して、北朝鮮へ変化を促す対応を取っているのだろうと考えたいと思います。
6月24日 花盛りの我が家の庭
梅雨の雨にも負けず、庭ではバラ、デルフィニウム、ジキタリス、ゲラニウム、ノーティア、クレマティスなどが競うように咲き乱れています。年々株が大きくなり、自然淘汰も進んで、我が家の環境に合う植物が調和を保ちながら育っています。
多年草の間からは、ニゲラやバーバスカムやヒレンソウやオルレアなどが、こぼれ種から実生で花を咲かせています。自然の花畑のように、我が家の庭なりの植生が確立されてきたようです。
この梅雨に時期に、大掛かりな移植も行いました。
庭の一角にある和風庭園に、その場には相応しくなく大株に育ったクリスマスローズを移植し、そこにフウチソウ、サラシナショウマ、ミツバシモツケそして羊歯を移植しました。大株を弱らすことなく移植できるのも、梅雨だからこそできる芸当です。このクリスマスローズは、場所が合わないと評判が悪かったものですが、これですっきりとしました。
木花も、ヤマボウシがまだ咲いていて、シモツケが咲き、紫陽花と沙羅も咲き始め、梅雨の鬱陶しさを慰めてくれます。
6月28日 日本の風景からなくなって欲しいもの
先日の大阪北部地震で、小学校のブロック塀が崩れ、小学生がその下敷きになって亡くなるというとても痛ましい事故がありました。気の毒で、可哀そうでなりません。関係者や管理者たちが、その危険性を指摘されながら、違法建築であることにも気付かず、長年放置してきた結果による人災です。
この尊い犠牲者が出たことにより、全国の学校でブロック塀の撤去が始まったようです。この悲惨な事故がきっかけとなり、全国からブロック塀が姿を消していくことになれば良いと思います。
コンクリートブロック塀は、戦後の日本の機能最優先、価格最優先の安直文化の代表のようなものです。アルミサッシの窓、テラス、車庫などの建造物もこれに相当します。こういったものが、日本の町の風景をどれだけ壊してきたことでしょう。
日本の風景からなくしたいものを列挙してみます。
・ブロック塀 昔はどこも木塀か生垣だった
・アルミサッシ窓や安い建材 家外観をのを貧弱にして、30年くらいしか住めない家にしている。
・白のガードレール 地方の美しい風景を台無しにしている。
・ブルーシート なぜこの色なのか。そこらじゅうにブルーの刺激的な色が散らばっている。このシートを敷いて花見をする人の気が知れない。
・電信柱 庭から南アルプスが見えますが、電柱が一本邪魔をしています。市街地の地中化は進みつつありますが、田舎の美しい自然の風景も大事にしてもらいたいものです。
・金属製のガレージや物置 新築の家も台無しです
BS日テレの「小さい村の物語 イタリア」を時々見ますが、イタリアの風景には、日本で見かける安直な建造物はどこにも見当たりません。日本も、経済至上主義、機能至上主義からそろそろ卒業してもらいたいものです。こういったものは、効率的な生産活動には役立つでしょうが、私たちの生活を見すぼらしくしています。
7月5日 小鳥はせっせと子育てに励むけれど
― 日本人は絶滅種? -
自民党の二階俊博幹事長の講演での発言
「このごろ、子どもを産まない方が幸せじゃないかという勝手なことを考えて(いる人がいる)」
「この国の一員として・・・みんなが幸せになるためには子どももたくさん産んで、・・・」
私にはもっとなことだと思いますが、朝日新聞が社説で噛みつきました。
朝日新聞曰く
「言うまでもなく、結婚も出産も、個人の自由だ。政治家が口出しする話ではない。政治がなすべきは、結婚、出産を希望する人が安心して子どもを産み、育てることが出来る環境を整えることだ。」と。
もっともな意見であり、同感です。しかし、次の
「深刻な少子化の責任を、国民に転嫁するのも全く筋違いだ。女性の社会進出、家族の多様化など、社会の変化に対応し、必要な政策を進めてこなかったのは、政治の怠慢である。」
には少し引っかかるものを感じます。
結婚するしない、産む産まないは全く個人の問題であり、個人の自由です。また、結婚したくても、子どもを産みたくても、様々な理由から望が叶えられない人たちも大勢います。
しかし、今の日本には、結婚しない、あるいは子供を産まないことを、どこかで擁護するような傾向があることも事実です。また、結婚できない、あるいは子供を産まない理由を、個人ではなく政治や社会の責任に転嫁する風潮があるようです。
国が豊かになり、平和が続くと、人間は個人の快適さをますます追及するようになり、生物としての本能を忘れてしまうようです。経済的に苦労してまで、遊ぶ時間を犠牲にしてまでして、結婚したり子育てすることはご免だということなのでしょう。この傾向は、国家の存亡の危機を感じるようになるまで続くのかもしれません。
近頃は、子ども連れの家族をみかけると、ほっとする気分になります。日本はどこか狂っています。
7月18日 小鳥の囀り
初夏から夏に、我が家の周辺ではウグイス、カッコウ、ホトトギスが競うように鳴きます。
最近、家の横の木立で、美しい鳥の囀りが聞こえてきます。鳴くというよりは、なにか言葉を話しているような美しい声の囀りです。何の鳥だろうかと何日も訝しく思っていましたが、ようやくその正体が分かりました。写真に撮って図鑑で調べると、どうもホオジロのようです。朝方と夕方によく囀るようです。今日もこの声を聞くのが楽しみです。
7月21日 朝夕はブルーで日中は赤紫になる花

朝夕の「ブルーパラダイス」
昼間の「ブルーパラダイス」
青色の花はデルフィニュウムで、朝夕は同じ青色で区別しにくいが、昼間は花色の違いがはっきりと判る。
夏の代表的な花の一つにフロックス(別名オイランソウ)があります。母の実家の中庭に、濃いピンクのオイランソウが繁茂していて、夏になって花が咲き始めると、色々な蝶が蜜を吸いに集まってきました。この蝶を捕まえるのが、夏休みの楽しみでした。子ども時代の楽しい思い出の一つです。
このフロックスに「ブルーパラダイス」とい品種があり、我が家の庭に数株ありますが、この花色がユニークで、朝夕はブルーですが、日中になると赤味が差して赤紫色に変化します。
花色の赤、青、紫は色素であるアントシアニンの働きによるものです。このアントシアニンの化学的な構造や、アルミニュウムなどの金属との結合、あるいは花びらの細胞の酸性度などにより、赤色から紫色まで多彩な色を発色するとのことです。
よく知られた紫陽花の青色は、アルミニュウムが土中から取り込まれアントシアニンと結合することで出現するとされています。酔芙蓉は朝方の咲き始めは白色ですが、気温が高くなるにつれてアントシアニンの合成が促進され、赤色になるということです。
フロックスの「ブルーパラダイス」の花色の変化も、アントシアニンによるものなのでしょう。朝と夕方は青みが強かったのが、昼間は赤味が増すのは、もしかしたら細部内のPHが太陽光線あるいは気温で変化することによるものかもしれません。夕方に、早く日が陰るところの方が青みが増すことから、温度よりも太陽光線が関係しているようです。アントシアニンの量によるものならば、夕方に再び青色に戻るのが説明できません。アントシアニンが一日の内に増えたり減ったりすることは考え難いからです。
このPH説はあくまでも推測ですが、太陽光線で細胞内のPHが酸性からアルカリ性の方向に変化するならば、青色から赤紫色への変化が説明できます。夕方になり太陽光線が弱くなれば、再び酸性に傾き、赤紫色から青色に戻ることになります。
7月26日 夏の朝
猛暑が続きます。標高1000mの富士見でも、連日30℃を超える暑さです。それでもさすがに夜になると涼しくなり、窓を開けて寝ると、朝方は肌寒いくらいです。
窓を開けて寝ると、夏の夜明けは様々な鳥や蝉の鳴き声がすることに気づきます。4時半ころ、白々と夏の夜が明けてくると、名前を知らない小鳥たちの囀りが聞こえてきます。遠くの林からはウグイスの鳴き声も聞こえ、ホトトギスの鳴き声も加わります。最近は、ヒグラシが涼しげに鳴き始めました。
鳥や蝉の鳴き声を聞きながら、多少寝不足を感じつつ、窓から入り込んでくる涼しい空気を肌に感じて、寝ているのがもったいなくなり、夏の気持ちの良い時間を一刻も無駄にしたくないという思いから、寝床から飛び出します。
8月14日 日本人に付きまとう語学の悩み
サンフランシスコ郊外のバーリンゲイム市に住む孫たちが、夏休みで帰省しました。半年ぶりの再会で、成長した姿に喜びを感じました。上は、9月から小学校4年生、下はキンダーガーデン(小学校の最年少クラスで、米国はキンダーガーデンから義務教育で、小学校は5年生まで。)に入ります。
下の子は、日本語よりも英語の方が楽な様子です。姉弟同士だと英語になります。日本語から遠ざからないように、家の中では日本語で話すように躾けられています。
上の孫娘とスイカを食べていたら、ふと悩みを話し始めました。英語は、時々現地の子の話している単語が解らないときがあるとのことで、これが悩みの種のようです。絶えず親と話しているアメリカの子どもと比べれば、どうしても語彙が少なくなるのは避けられません。子供同士ですから、言葉の意味を聴いても、きちんと答えてはくれません。
日本語の方も、日本語補習校に通っていますが、漢字の習得に苦労している様子です。日常的に漢字を使う環境にないため、漢字練習が負担になっているようです。また、日本に来て日本の友達と話していると、話題についていけないとのことです。日本語の問題というより、日本の文化から遠ざかっていると、最近の日本のことが分からなくなっているからです。日本語の単語も次第に忘れていくようで、何でもない言葉の意味を聞かれてハッとすることがしばしばあります。
孫娘はふと「おじいちゃん。英語と日本語のどちらを優先した方がいいの?」と聞いてきました。難しい問題です。「とにかくゆっくりでもいいから、英語も日本語もしっかり続けていくことだよ。そうすれば、そのうち英語も日本語も皆と同じようになるから。続けてさえ行けば、両方ともそれ以上にだってなるよ。」と勇気付けてやりました。
下の子は生まれてすぐアメリカに行きましたので、日本を全く知りません。言葉も英語の方が優勢です。この先どのようになるのか分かりませんが、置かれた環境を最大限に生かしていくしかありません。
日本にいたら英語で苦労し、アメリカにいたらいたで日本語で苦労する。これは日本人の宿命です。
8月30日 今年は夏が長い
全国的に猛暑が続いています。今年は梅雨明けが早く、暑い日が早くからやってきました。標高1000mの富士見でも、何日かエアコンが欲しくなる日がありました。
例年ならば、お盆が過ぎると秋風が吹き出し、別荘族も帰り、もう夏が終わりなんだと寂しい気分になりますが、今年は少し違うようです。朝晩はさすがに涼しくなりましたが、まだ昼間は暑さが残り、夏の名残を楽しんでいます。もう9月だというのに、まだ夏の活気が残っています。こんなことを言うと、暑い地方にお住まいの方からは恨まれるかもしれません。
今年の夏は晴天が多く、暑かったためか、庭の花が例年よりも見事に咲いてくれました。暑さに負けることもなく、元気に咲き続けています。畑のスイカやトマトも、甘みが増してくれました。
小玉スイカを作りましたが、一本の株から30個近くも取れ、とても食べきれないので、近所や親せきや友人におすそ分けして、皆からとても美味しかったと大好評でした。
9月10日 USオープンで大坂なおみが優勝
露呈した日本スポーツ界の低次元な指導者
日本人の快挙です。嬉しくてテレビ番組を探しては見ていました。日本人の心とハイチ人の身体能力と明るい性格という最強の組み合わせが、最強のテニスプレーヤを生みました。とてつもなく強いが、性格が激しすぎるセリーナとは対照的でした。日本人ていいねと改めて教えられました。
それにしても日本のレスリング、アメフト、体操界などのパワハラ・スキャンダルは、なんと時代遅れで次元の低いことかと情けなくなります。大坂なおみのコーチのサーシャ・バイン氏の優れたコミニケーション力と選手との関係は、これからの日本のスポーツ界の良い手本になると思います。暴力など論外ですが、威圧したり、叱ったりすることしかできないような指導者は、指導者としての資格がないことを肝に銘じるべきです。また、周囲が沈黙したりして黙認しないことです。
9月25日 足の筋力の衰え
筋力の衰えをはっきりと実感したのは、60歳になった時と、70歳を超えた時です。
60歳になった時は、山登りのスピードが、以前と比べて明らかに遅くなったのを実感しました。今までと同じ速度で登ると苦しくなり、自然と歩みが遅くなってきました。それでもゆっくり歩けば、今まで通りの登山を少し時間をかけてすることができました。
70歳を超えた時には、ジョギングのときの走る速さが著しく遅くなったことです。足の筋力は、確実に衰えてきている様です。毎日のように、歩いたり走ったりしていても、筋力の衰えは避けられないようです。登山も、今までの日帰り登山がきつくなてきました。
ジョギングをしていただけでは、その走る速さに見合った筋力しか維持できず、むしろ徐々に弱っていくようです。そこで、インターバル速歩を取り入れて、脚力をつけようとしましたが、走る速さを維持するのは難しいようです。
最近は足の筋力を維持すべく、少しでも早く走ったり歩いたりしたり、一日100回以上のスクワットを科しています。スクワットを確実に続けるために、電動歯ブラシを使うときに、スクワットをしながら歯磨きをしています。
10月6日 初めてのドイツ旅行
10月8日から18日まで、ミュンヒェンを拠点に南ドイツへ旅行します。ドイツは初めてです。
高校時代、最も行きたかった国です。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』や『ヴィヘルム・マイスターの修業時代』や『ヴィルヘルム・マイスターの徒弟時代』などを読み、ドイツに強烈な憧れを持ったのが理由です。その後、ドイツ語を勉強するようになってから、その思いは一層強くなりました。
しかし、ドイツへは行く機会もなく、そのうちにドイツ熱は徐々に冷めていき、すっかり興味をなくしてしまいました。
ところが最近になって、家内の友人がミュンヒェンに仕事で滞在することになり、その友人に会いがてら南ドイツを旅行することになりました。ホテルの予約、汽車の時刻表調べ、バスの時間、ホテルへの行き方、バイエルンチケットの買い方、オペラの予約など、一応の準備をほぼ完了しました。後は荷造りだけです。
10月22日 美しいバイエルン

Dinkelsbuhl
ドイツ旅行から帰ってきました。
ミュンヒェンからフュッセンに行き、ロマンチック街道を北上し、アウグスブルグ、ネルトリンゲン、ディンケルスビュール、ローテンブルグ、ヴュルツブルグの各都市を見て回りました。中世の面影が色濃く残る古き時代のドイツを感じることができました。
特にディンケルスビールとローテンブルグは、印象的でした。城壁に沿って歩くと、変化にとんだ美しい風景に出会い、そのたびに感動しました。ディンケルスビュールは静かで観光客も少なく、とりわけ印象的でした。中世の都市がよく保存されていて、古く良き時代の南ドイツに戻ったような気分になりました。ローテンブルグもそれに劣らず印象的でしたが、観光地化されていて、中国人観光客でごった返していました。
ヴュルツブルグからはニュルンベルクとレーゲンスブルグに回り、ミュンヒェンに帰ってきました。ニュルンベルクは堂々とした風格があり、レーゲンスブルグは世界遺産に指定されてリニューアルされて新築のような美しい外壁になっていました。
それぞれの都市に特徴があり、それも捨てがたい魅力を持っています。
ミュンヘンでは家内の友人に会い、観光案内をしてもらい、楽しいひと時を過ごすことができました。レジデンスは印象的で、世界遺産のヴュルツブルグのレジデンスよりもミュンヒェンのほうがはるかに良いと思いました。丁度ミュンヘンマラソンの日で、レジデンス前の広場に面したレストランで、名物の白ソーセージと白ビールで観戦しました。その夜はバイエルン歌劇場でオペラ鑑賞をしました。
ミュンヘには4泊し、ガルミッシュとミッテンバルトのバイエルンアルプスのハイキングをしてきました。バイエルンアルプスは3000mに満たないものの急峻な岩山で、町や村から聳え立っています。日本の穂高連峰といった感じです。特にガルミッシュ・パルテンキルフェンから見た山々は印象的でした。
バイエルンは車窓の風景が美しく、一面に広がる農地や森の合間に、赤茶色の屋根の集落が点在し、日本とは全く違った風景が展開していました。本当に美しい土地だと思いました。
自然エネルギーの先進国らしく、いたるところに風力発電の風車や、太陽電池パネルが見られました。
電車で会ったドイツ人に、ドイツは美しい国ですねと言ったら、「ドイツではない。バイエルンが美しいのだ」と言われました。バイエルンの人たちはこの土地に誇りと愛着を持っており、ドイツではなくバイエルン人としてのアイデンティティーを持っていることを知りました。ドイツ全般のことはわかりませんが、旅であったバイエルンの人たちは素朴で親切で、とても気持ちの良い旅行をすることができ、一変んでこの国が好きになってしまいました。
1月5日 日曜大工

我が家は築26年を迎えます。勝手口に屋根付きのユーティリティ・スペースがあり、エコキュートや床暖ヒーターが設置されています。新築時には囲いはせず、将来壁を作るつもりでいました。
ところがそれっきりになり、オープンのままで25年を過ごしてしまいました。ここに囲いの壁を作れば、冬の寒さから水道管などの凍結を防止する電気代がだいぶ軽減されます。また、少し暖かな空間ができるため、野菜などを冬季に保存するのに適した場所になります。
そこで意を決してDIYで囲いを作ることにしました。このために、デッキを張り替えた時と、リビングを改装した時に、余った材木を頂いて取っておきました。材木はこれだけでは足りないので、近くのホームセンターで2X4材などを買い、トラックを借りて運び込みました。明り取りの窓はアクリル板で作ることにしました。このアクリル板は、インターネット通販で調達しました。
このようにして、二面ある囲いの一面だけ完成しました。これから冬が来る前に、残りの一面も作るつもりです。
壁の色は思い切って黄色を塗りました。遊び心とワンポイントにするつもりでしたが、どうだったでしょうか。
11月16日 勝手口の囲いが完成

素人の大工仕事で、ついに勝手口のユーティリティー・スペースの囲いが完成しました。
近くのホームセンター(Jマートというお気に入りの店)で材木などを買い、二度1.5トントラックを借りて運びました。材木は思っている以上に重いものであり、値も張ります。安価で便利な2X4材を活用しました。
工具もいくつか新調しました。角ノミ、24mmのドリルの刃は通販で購入し、ドアノブや大型の蝶番も通販で買いました。ノミも研いで切れるようにしました。コンクリートにボルトを埋め込むための振動ドリルは、Jマートの24時間で340円というレンタル工具を初めて利用しました。めったに使うことのない工具はレンタルが便利で安上がりです。
窓には5mm厚のアクリル板を嵌め込みました。アクリル板も通販で購入しましたが、大きく重量もあるので、運送業者の営業所止めとなりました。車で取りに行きましたが、大きすぎてプリウスには載せることが出来ず、荷解きをしてアクリル板を取り出し、裸の状態で後部座席を倒した上になんとか収めることができました。
中でも苦労したのがコンクリートの床に柱を垂直に取り付けることでした。柱を床と天井の間に挟み、倒れないように正確に長さを出すことがコツで、こうすることで柱が倒れないので、一人でも正確に垂直出しが可能です。
コンクリートに正確に穴あけするのは思いのほか難しく、どうしてもずれてしまい、柱を固定する金具にコンクリートビスを全ての穴にねじ込むことが出来なくなったりしました。おまけに、コンクリート端面からの距離を曲尺で測るときに、目盛りを読み間違えるという単純ミスまで犯してしまいました。

最も難しかったのはドアの取り付けです。ドアの大きさは、ドア開口部に対して上下左右とも5mmほどの余裕が必要です。大きすぎても小さすぎてもうまくいきません。開口部に合わせてドアの端を切ったり削ったりを何度も繰り返しました。
蝶番をつりつけるのも慣れないと難しいものです。ノミで掘って蝶番を埋め込むのですが、正確な位置や深さを出さなければなりません。初めての経験でしたが、何とかやり遂げました。しかし、重いドアを取り廻すのに気を遣うあまり、柱に刻む位置を勘違いしたり、ノミで彫った溝が深すぎてドアの開閉がきつくなり過ぎたりして、別の位置に取り付け直すという失敗をしてしまいました。それでも丸二日かかってどうにか満足の行く程度には仕上げることが出来ました。ドアノブを取り付けるのも初めての経験で、24mmの穴を正確に開けたり、ドアのラッチを受ける穴を角ノミで穿ったりと、苦労の連続でした。
重いドアを柱に蝶番で一人で取り付けるには工夫が必要です。2mm厚のベニア板をドアの下に敷いてドアを自立させ、かつ床からのスペースを確保しました。
ドアを受け止める枠木を取り付け、ぴったりと嵌ったドアを開閉して、スムーズな動きとカチッとラッチが働く感触を楽しみ、日に何度も悦に入っています。改めて家の中を見回すと、どのドアも完璧に仕上がっていて、本職の腕前には感服するばかりです。
よく見れば隙間が至る所にあったり、寸法の合わなかった所があったり、凸凹していたりしますが、自作だと気にならないものです。以前居間をリフォームした時は、細かな出来栄えにまで大工さんに注文を付けていましたが、自分でやったことには文句の付けようはありません。隙間には隙間テープを張ったり、パテで埋めたりして誤魔化しました。
囲いのなかった時は外気温と同じでしたが、今はエコキュートと床暖用の熱交換ヒーターの熱で、外気温が0℃のときでも15℃でした。これからの冬は快適に過ごせそうです。水道管の凍結ヒータで電力を消費することからも解放されそうです。
11月30日 25年目の決意


勝手口の部屋が完成してから二週間が経ちましたが、今度は給温水管の目隠しを完成させました。
25年前この家を新築した時、事細かく気を配って、工務店や大工さんに注文を出しましたが、水道のことに関しては業者に任せっきりで、このことが禍根を残すことになるとは思いもよりませんでした。素人の間取りで、給温水管が長く引き回される設計になっていましたが、このことを特に重大には思いませんでした。
ところが、家が出来上がってみると、給温水管が長々と引き回されています。こちらは寒冷地で、冬季には水道管が凍結します。その対策として、万一水道管が破れた時のために修理が容易になるよう屋外配管が常道でした。現在は床下配管が一般的ですが、そのような配管素材が未だ実用化されていない時代でした。その結果、配管が長々と壁を這うみっともない外観になってしまいました。
ところが外観だけの問題だけでは済みませんでした。配管に巻き付けた凍結防止ヒーターの消費電力が馬鹿になりません。正確な電力は不明ですが、おそらく500W以上にはなっていると思われます。凍結防止ヒーターには一応サーモスタットが付いていますが、寒冷地では常時付きっぱなしになるため、節電の効果は皆無です。業者は「節電太郎」という節電サーモを取り付けてくれました。それでも夜間は付きっぱなしになりますから、それ相当の電気代がかかることになってしまいました。
このことがずっと気にかかっていましたが、今回勝手口のユーーティリティー・スペースに囲いを作った結果、半分以上の配管が集中するこの部分の温度が上昇し、配管の凍結の心配がなくなりました。
そこで25年間の懸案であった、配管に覆いを被せ配管を見えなくすることと、断熱材を入れて、凍結防止の節電サーモの働く時間を短くすることを、決意しました。
勝手口の部屋造りで材木が余っていたので、これを活用することにしました。ところがいざ取り掛かってみると、思った以上に作業は難航しました。とにかく配管は各所で直角に折り曲がっていますから、これに覆いを被せることは実に面倒な作業でした。
配管には断熱材のスタイロフォームを被せました。木の覆いと断熱材の効果がどれほどになるかは、この冬のお楽しみです。気になっていた配管が見えなくなって、実にすっきりしました。こんな配管をした業者を恨みつつ、25年間も我慢していたのです。
12月15日 終に壊れたミキサー

40年以上使ったシェアーズのミキサーがとうとう壊れました。家内の両親が使っていたものを、両親が亡くなった後も、我が家に引き取り、大切に使っていました。このミキサーで、この数年は毎朝グリーンスムージを作るのが日課になっていました。
何の変哲もないミキサーで、分解して洗うことが出来る実用一点張りの製品でした。スクリューとガラス容器とのパッキングが悪くなり、使うたびに液漏れを起こしていましたが、グリーンスムージを作るのには何の不自由も感じずに来ました。新しいもっと使いよい製品を買いたいと思ったこともたびたびですが、壊れたら買い替えようと今まで使い続けてきました。
それが、今朝突然動かなくなりました。とうとう寿命が来たようです。記念にと、捨てる前に写真を撮りました。インターネット通販で、さっそくミキサーを注文しました。Russell Hobbs の製品です。今までの経験から、500Wのハイパワーと、ガラスの容器と分解して洗えることが決め手でした。
因みに私の作るGreen smoothieの材料は、ほとんどが我が家の畑で取れる野菜が中心です。
ケール、ニンジン、レモン、リンゴ、バナナが主材料で、これに小松菜、キャベツ、白菜、ブロッコリーの葉、ピーマン、白菜などの手元にあるものを入れたりします。これらに水、豆乳とアマニ油一滴を加えて攪拌します。これを毎朝欠かさずに飲んでいます。
12月26日 『ウィルヘルム・マイスター』
冬の寒い午前中、高校時代に読んだ『ウィルヘルム・マイスター』の修業時代と遍歴時代を読み返しています。10月にドイツ旅行したのがきっかけで、もう50年以上も前に読んだっきりのゲーテの小説を、もう一度じっくりと読んでみたくなりました。
当時は深く理解するまでには至らず、ただロマンチックな物語の筋に魅せられて、マイスターに自分自身を重ねながら夢を見ていたように思います。文豪ゲーテは遥か遠くに聳える頂のような存在で、ただただ仰ぎ見ていただけでした。
それから50年以上が経ち、読み手のほうも成長してきました。今は、作者との距離が少しは近くなり、ある程度の批評を交えて読めるようになってきました。
19世紀の小説ですから、現代の感覚からすると既に時代遅れとなった部分も感じられますが、終生青春の精神を失わなかったゲーテの瑞々しい物語は、今でも読者の心をつかんで離しません。
当時の時代背景から、教育的、宗教的な教養小説といったところがあり、表現も持って回っていますが、とにかく面白く、長編小説ですが一気に読ませる力を今なお失っていません。既に忘れかけている青春時代の熱い心を呼び戻させてくれます。
12月27日 鳥の名前が判明

ガビチョウ
今年の春から一年中、朝夕にきれいな歌声で囀る鳥が、我が家とその周辺の木立に住み着くようになりました。今まで聞いたことのない鳴き声です。
鳥の姿を間近で写真にとることができ、野鳥図鑑で調べてみても載っていません。Googleで「野鳥 目の周りが白い」で検索してみると、ありました。鳴き声も載っており、その通りです。
鳥の名前は「ガビチョウ(画眉)」といい、中国から愛玩用として輸入されたものが野生化したものです。現在は特定外来生物に指定されています。地上採食生で昆虫や果実を食べるとあります。
鳴き声が美しいので、なるほどと納得しました。英名ではMelodious Laughingthrushというようで、確かにメロディーを歌うように、囀ります。このガビチョウは写真でもわかるように、外観が地味で、家の中で飼うには鳴き声が大きすぎることが欠点で、次第に人気がなくなり、処分に困って放鳥したのが野生化し、生息域が広がっていったようです。鳴き声は美しいのですが、日本の生態系に悪影響が出ないことを願うばかりです。
(訂正)7月11日付のホオジロは誤りで、ガビチョウでした。写真は違う鳥を写していたようです。
12月31日 アバドのレクイエム
大晦日の午後、冬の日を一杯に浴びて暖かくなった二階のオーディオ・ルームで、急にアバドのルッチェルン音楽祭2012で演奏したモーツァルトのレクイエムを聴きたくなって、録画したBDを引っ張り出しました。
モーツァルトのレクイエムはそれほど数多くを聴いたわけではありませんが、このアバドの演奏がもっとも気に入っています。これほど清澄な演奏を知りません。モーツァルトの手でない部分は、得てして緩慢になり力を失いがちですが、アバドの演奏はそれを感じさせません。
アバドが亡くなる1年半前の演奏です。自身の死を予感しながらの演奏だったように感じられます。演奏が終わった後、しばらくの間何か祈るようにじっと指揮台の上で目を閉じて佇んでいた姿が印象的でした。アバドが手を下すと、ようやく聴衆の静かな拍手が始まり、やがていつ果てるともない拍手が次第に大きくなっていきました。
今年も度重なる自然災害で多くの方が亡くなりました。地球上ではいまだに戦闘が続いているところがあります。テロや虐殺も頻発しています。家族を亡くなされた知人のことも思い浮かびます。そんなことを取り留めもなく思いながら、大晦日の午後を過ごしました。