私の近況2012

1.8 冬は読書(3) 『吉里吉里人』

 私は、作者が亡くなってからその人の著作を読み始める傾向があります。井上ひさしもその例で、『ひょっこりひょうたん島』から面白いけど何となく軽っぽいという先入観があって、本気になって読もうとは思わなかったのです。この誤った認識を改めさせたのが、『四千万歩の男』と『東京セブンローズ』です。井上ひさしの小説は、単に筋が面白いだけでなく、文章がうまいだけでなく、言葉が豊かなだけでなく、現代社会の様々な問題点を、正面から真剣に深く深く考えさせてくれることを知りました。これは凄い。井上ひさしは天才作家であったと、遅ればせながら気が付いた次第です。
 この正月には、井上ひさしの大作『吉里吉里人』を読みました。図書館からの貸し出し期限が過ぎたので、最後の二日は丸々半日を読書にあてました。この小説は最高に面白く、また現代社会の問題点に正面から取り組んだ本格的な社会小説でもあります。奇想天外で、抱腹絶倒、真面目で、滑稽で、他愛なく、含蓄に富み、腹立たしく、猥雑で、・・・と、ありとあらゆる要素がパッチワークのように組み合わさった、とてつもない小説です。
 気が付いたテーマだけを拾っても、
 ①方言の復権、ズーズー弁の復権。「おらだの国語はめんこがれ」
 ②現代のマネーゲームへに警鐘。「吉里吉里の紙幣は兌換銀行券だべす」
 ③憲法第九条を守る。「キラキラて一番星より明るぐ輝くなぁ、この第九条す」、「文化武装じゃ。文明による防衛じゃ」。吉里吉里国独立の第一の理由。
 ④農業政策への批判。「百姓は百の作物ば作るのだ」、「自分の食い扶持は自分で拵えろ」
 ⑤医療制度の問題。「病苦の前での平等」「予防医学」
 ⑥社会格差。「労働銭ンコ制は吉里吉里国の基本理念でごぜーます」
 ⑦古代日本の大らかな性。吉里吉里語だから良いが、標準語だったらかなり下品に聞こえてしまう表現が山のように。
 ⑧その他、テレビの番組批判、マスコミ批判、官僚批判などなど・・・
 
 真面目な話、語彙の豊富さと言葉遊びの巧みさ、物語の面白さで、井上ひさしに匹敵しうるのはシェークスピアしかいないのではと思います。もし、世界の文学者が日本語で小説を読めたならば、井上ひさしはノーベル文学賞をもらったでしょう。健三郎さんよりも面白いから。しかし、残念ながら、井上ひさしの文章は短歌や俳句のように、日本語そのものを使いこんでいるから、翻訳がとてつもなく困難であると思われます。


冬は読書(4) イタリアの村の独立

 『吉里吉里人』を読んで、井上ひさしの奇想天外な想像力にいつものように舌を巻いたのですが、この現実には起こりえないと思えることが、実際に起こっていることを知ってビックリしました。以下は、インターネットでの記事です。

イタリアの人口600人の村、“独立”を表明
 イタリア中部の山村が、国の緊縮財政策の一環として小村廃止が浮上したことに反発、「独立」と「独自通貨導入」を目指す方針を表明した。
国の補助金削減や増税、歳出削減を押しつけられることへの反発もあり、ベルルスコーニ政権の財政再建をめぐる議論に一石を投じている。
「イタリアから離脱し、公国になる」。ローマの東約70キロ、フィレティーノ村のルーカ・セッラーリ村長(45)は訴える。山手線の内側より2割ほど広い78平方キロに600人弱が住む。
伊政府は8月中旬、全国の約2000の人口1000人未満の村を統合し、補助金を減らす案を示した。村長は耳を疑い、「小村独自の文化や方言が絶える。認められない」と「独立方針」を表明した。
リゾート地の村は、冬休み中なら5000人超のスキー客らが定宿を取る観光名所。水や森林資源もあり、「独立しても財源はある」と計算できた。
村は独立後の君主を探して旧伊王家の子孫に接触。独立後の新通貨「フィオリート(『花盛りの』の意味)」の試作も始めた。



 長野県の山の中の村を独立させる。ちっとも前に進まない日本の怠け者の政治家たちに愛想をつかし、無駄な税金を取られることがなく、自給自足の農業が営める自分たちの国を作る、こんな夢を追ってみるのも楽しいことです。たとえ埋蔵金がなくても、上高地のような観光資源があれば経済的には可能性があるかもしれない。


1.22  冬は読書(5) 戦争下手だけれど武人の型を完成させた乃木大将

 乃木大将の名前を最初に知ったのは、祖母が敬愛の念を込めて「乃木大将」と言っているのを聞いた時です。その後、乃木坂とか乃木神社のあることを知り、これが祖母が話していた乃木大将かと思ったものです。私の疑問はこの時からで、なぜ乃木希典が神格化して神にまでなったのかということです。軍人はいくらでもいたのに、なぜ乃木希典なのか。乃木大将が出てくるテレビドラマや映画を見ても、この疑問が解けることはありませんでした。
 
 三年越しで放映された司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』を楽しみに見ました。日露戦争に辛くも勝利し、西洋列強の一角に頭をもたげた明治維新後の日本と日本人をを描いたドラマでした。貧しさの中にあっても、西洋諸国に追いつこうと、将来への夢の持てる明るさのある時代で、敗戦後の高度経済成長時代と重なる思いで見ました。
 日露戦争の勝利の発端となった旅順攻略ですが、これを指揮したのが陸軍司令官の乃木希典です。司馬遼太郎によれば、乃木希典は戦争下手、作戦下手で、有効な戦術も戦略もないまま正面突破を徒に繰り返し、六万人もの戦死者を出したとんでもない素人司令官ということになります。挙句の果ては、見るにみかげた参謀長児玉源太郎の助太刀により、ようやく二〇三高地を陥落させて辛くも旅順港を落すことができました。海軍の言う通りに、最初から二〇三高地を目標にすれば、六万人もの命をむざむざ犠牲にすることはなかったのではないかと、司馬遼太郎はみています。乃木希典自身も、この戦いで二人の息子を戦士させました。これで遺族の人たちに対して、せめてもの面目を保つことができたのです。
 ではなぜ戦争下手の軍人が、神格化されるようになったのでしょう。さすがに旅順攻撃では多数の犠牲者を出して、国民から非難されました。しかし、旅順要塞の攻略が極めて困難であったことや、二人の子息を亡くしたこと、日露戦争に勝利したことから、乃木は大歓迎されて凱旋しました。また、水師営における要塞司令官ステッセリとの会見においては、敵将の名誉を重んじた乃木の態度が立派であったとして、国際社会から称賛されました。でも、多数の将兵を死なせた責任を痛感し、祝賀の表舞台に出ることは無く、「自刃して明治天皇の将兵に多数の死傷者を生じた罪を償いたい」と奏上したが、天皇からは、「どうしても死ぬというのであれば朕が世を去った後にせよ」と諌められたとのことです。その通りに、明治天皇が崩御されると、その後を追って妻とともに殉死しました。乃木希典は天皇の信頼が厚く、学習院の院長となり昭和天皇の養育も任されています。
 以上のいくつかの理由はありますが、多くの命を犠牲にした戦争下手が、神にまでなる理由としては、明治天皇との結びつきが強かったからでしょうか。明治天皇は現人神ですから、その現人神に寵愛され、命を預け、最後は殉死をする。その結果、神となったと納得しようとしましたが、まだすっきりしません。
 この疑問が少しでも解けるかと思い、井上ひさしの『しみじみ日本・乃木大将』を読んでみました。相変わらずの井上流のユーモアにあふれる戯曲です。乃木大将が六万人の兵士を死なせたこと、遺族に寄り添って生きてきたこと、西南戦争で軍旗を敵に奪われる失態をしたこと、落馬したことなどをエピソードとして、殉死する直前の乃木夫妻の様子を、三頭の愛馬の”前足”と”後足”に語らせるという奇抜な趣向です。戦争下手であったけれど、その責任を常に引きずりながら死んだ将兵の遺族に寄り添って生き続けた。明治天皇に命を預け、「武人の型を演じ尽くした」とあります。なるほど、最期は殉死によって「武人の型を完成させた」乃木大将の生き様が、人々の心に深く刻み込まれたのかと納得した次第です。


 

1.31  冬は読書(6) 『江戸紫絵巻源氏』

 モーツァルトの『ドン・ジョバンニ』を、かの謹厳実直な大作曲家は、こんな不道徳で不謹慎な話に素晴らしい音楽をつけたと、怒ったそうです。この、かの大作曲家は、『フィデリオ』という女性の鏡のような貞女を主人公とした、退屈でつまらないオペラを作曲しました。お前には音楽がわからないんだと言われようが、私はいくら偉大な尊敬する大作曲家の作品だからといっても、このオペラは失敗作だと思います。面白くない音楽は全て失敗なのです。
 この『ドン・ジョバンニ』よりも七百年以上も前に書かれた『源氏物語』ですが、このパロディーを大胆不敵かつ不遜にも井上ひさしが書いています。これが『江戸紫絵巻源氏』です。舞台を江戸にもってきて、光源氏を、舘家(伊達家のもじり)の殿様が遊郭の遊女に産ませた子で、質屋の「光や源次」に仕立てています。このパロディーは、もし紫式部が読んだらどうなったことでしょう。面白いと褒めたか、それとも名誉棄損で訴えたか。話は五十四帖プラスαからなり、細かな字で五百三十八ページもある長編ですが、徹頭徹尾、男と女のあそこのお話に終始しています。しかし、言葉の力でしょうか、話が卑猥に堕ちないところが不思議です。これを読めば、しばらくは?が凭れて、女性を見たくなくなるかもしれません。こんなパロディー小説に、文才を惜しげもなく消費できるのは、馬鹿か天才かのどちらかでしょう。この様な戯れを、すんなりと作品に仕立ててしまうという点では、モーツァルトと井上ひさしには共通点があるようです。
 このパロディーは、全編が作者一流のことば遊びにあふれています。たまたま目に留まった一つを紹介します。それにしても、原作者の紫式部も井上ひさしも、末摘花を虚仮にすることにかんしては手を抜いていません。
 顔のおできは粒あんこ
 體のかさぶたいちまんこ
 どくろ巻く鼻はまるでうんこ
 胴はずん胴まるできんこ
 細い手足はまるでおせんこ
 足の裏は偏平足でぺったんこ
 猪首に塗ったはうどんこ
 骨は骨太ごつごつごっつんこ
 気性はへんくつおまけにがんこ
 着ているものはちゃんちゃんこ
 盛りのついたところは雌のにゃんこ
 よだれはまるでわんわんわんこ
 歌うはトンコ節とんことんこ
 好きな食いものたくあんしんこ
 ゴハン盛るときゃ大盛てんこ
 右目と左目ロンパリまなこ
 ぜにこがないのでちびたかんこ
 遊びに行きます浅草えんこ
 ああ!おかちめんこのふらめんこ
 
 こんな調子ですが、実は光や源次は「おかちめんこのふらめんこ」の女性に強く魅かれるという、優しい心の持ち主なのです。
 このような言葉遊びが、とても読み通せないほど豊富に全編にあふれています。

p.s.
井上ひさしに比べれば、『ベーズレ書簡』のモーツァルトなどは、まるで乙女のように純情なものです。


2.7  冬は読書(7) 『道元の冒険』

 道元に興味を持つようになったのは、京都の南座で前進座の歌舞伎『道元の月』を見た時からです。実はこの時、この歌舞伎の台本作者が立松和平だとは知らずじまいでした。いい加減なものです。その後、道元のことは忘れていたのですが、立松和平さんが亡くなられ、テレビのレポートでの彼の訥々とした、けれども適格な話しぶりが懐かしく、彼の作品を読んでみようと思い、図書館でたまたま見つけたのが『道元禅師』でした。この小説の終わり近くに、あの『道元の月』の物語が挿入されていて、あの歌舞伎の作者は立松和平だったんだと知り、びっくりしました。
 『道元禅師』は、道元の一生とその教えを小説にしたものですが、素人の私にも小説としての完成度はあまり高くないなという印象でしたが、道元について知るには大変良い小説でした。ただ、あの難解な『正法眼蔵』の中身が、作者の言葉で噛み砕いて分かりやすく書かれていたならば、どんなに良かったかしれません。「只管打座」、つまりひたすら座禅をすることが、道元の教えの中心にあることが理解できただけでした。
 さて次は『正法眼蔵』に挑戦しようと、図書館で現代語訳を借りてきました。とにかく最後まで読み通してみたものの、さっぱりわかりません。これで道元を知ろうとする気力は、完全に消え失せてしまいました。ただし、道元の教えは理解できないが、釈迦牟尼を引き継ぐ日本で唯一のお坊さんである、ということだけはしっかりと心に刻みつけられました。
 こんなわけで、道元こそ最高のお坊さんであると思っていましたから、井上ひさしが『道元の冒険』という戯曲を書いていることを知り、大変興味を持ったのは当然のことでした。あの井上ひさしが道元をどのように書いているのか、ひょっとしたら、道元のことが少しは分かるかもしれないと思ったのです。
 期待した通り『道元の冒険』は、道元を、やさしく、深く、面白く、真面目に、そして楽しく描いています。道元は、「男女合体血清教」といういかがわしいカルトの教祖の夢を見るのですが、このカルトは現代社会の様々な狂気を象徴しているのでしょう。狂気とは、公害とかの文明の負の部分、あるいは裏の部分のことです。そして、道元がその夢を覚ますことによって、狂気そのものを消し去ろうとするのです。道元のような宗教人がいる限り、いつかは人類が見ている悪夢すなわち狂気から、目を覚ますことができるだろうという、作者の願いが込められているのでしょう。
 井上ひさしは格好をつけない人ですから、「『正法眼蔵』を読んだが、まったく一行も理解できなかった」と言っています。さらに「道元解説書もおしなべて難解を極め、すこしもわからないのだった」とも、また「後世の学者で、正法眼蔵を理解できるという人がもしおれば、その人、ずいぶん、無理をしていると思いますよ。」とも『道元の冒険』なかで書いています。正直な人だと思います。その点では、立松和平は、少々無理をしていたのかもしれません。『道元禅師』のなかの道元の教えを語る部分は、まだ生煮えで、そのままでは消化できませんでしたから。
 井上ひさしは、高校時代をすごしたカトリックの養護施設の、ぼろをまとい、少しでも質の良い食事をさせようと、ただひたすら子どもたちに愛を捧げた徹した修道士を、道元と結びつけています。学問と布教に勤しむだけの都会の神父には反発を感じたようです。宗教は、難解な教説ではなく、人の生き方そのものにあるということです。


2.18  冬は読書(8) 『天保十二年のシェイクスピア』

 シェイクスピアを趣向にした井上ひさしの戯曲で、ここでもことば遊びは健在です。でも、どんでん返しはありません。シェイクスピア劇を、ただ面白く、楽しく見ることがすべてであるということを、文学者がことさら哲学的に難しく解釈することのばからしさを、私たちに教えてくれます。
 
劇中に出てくる歌の歌詞のなかのシェイクスピアを、私がかってにモーツァルトに置き換えた替え歌です。
 
 もしも-
 モーツァルトがいなかったら
 有名になりそこなった
 音楽学者がずいぶん出ただろう

 もしも-
 モーツァルトがいなかったら
 CD出せずに儲けそこない
 レコード会社はつくづく困ったろう

 もしも-
 モーツァルトがいなかったら
 現代音楽に貧しく乏しい
 音楽界はほとほと困ったろう

   モーツァルトは米びつ 飯の種
   あの方がいるかぎり 飢えはしない
   モーツァルトは米の倉 腹の足し
   あの方がいるかぎり 死にはしない
   モーツァルトは ノー・スペア
   あの方に身がわりは いないのさ

 もしも-
 モーツァルトがいなかったら
 「女はみんなこうしたもの」、などという
 あの誤解は生まれなかっただろう

 もしも-
 モーツァルトがいなかったら
 ベートーベンは歓喜の歌を
 とても作曲できなかっただろう

 そうなりゃー
 「フロイデ、フロイデ・・・・フロイデ」
 というヒット曲も生まれなかっただろう
 
  
 モーツァルトはドル箱 金の蔓
   あの方がいるかぎり 金には困らぬ
   モーツァルトは不動産 親の脛
   あの方がいるかぎり われらは安泰
   モーツァルトは ノー・スペア
   あの方に身がわりは いないのさ

 以下は、劇の初めの「ぼろづくし雑巾口上」と名付けた口上の一節です。卓越したシェークスピア論だと思いませんか。
「シェイクスピア劇はまず豪華金襴、波瀾万丈、法服絶倒、陰々滅々の水着わ立った筋立ての面白さと嬉しみ、呼べば答え、答えば返し、返さばまた呼ぶ、コトバの響きの玄妙さにどっぷりと躰を浸すことが第一。哲学や思想の出番はその次のこと。シェイクスピア自身も申しております。「哲学でジュリエットが作れるものか」と。」

 劇中の、ことば遊びの絶妙な例を二つ紹介します。

 老婆は一日にして成らず

 好いた同士に うれしや秋は
 二人そろって 月見のお酒
 たがいに着物を萩の花
 いろいろ話を 菊の花
 おや、しかとわからぬあなたの気持ち
 ちょっと、わたしが気を紅葉


3.9  東海道五十三次てくてく歩きの計画

 春の遅い富士見でもようやく春の気配を実感できるようになりました。先日は、玄関先でスノードロップが、真っ白な小さな花を雪の解けたところに咲かせているのを発見しました。北国の春の喜びです。

 いよいよ、三月十六日から、東海道五十三次のてくてく歩きを始めます。行程を決め、宿屋も確保しました。後は実行あるのみです。

宿場   宿間 累計 一日 宿泊          
  日本橋 0 0              
1 品川 7.8 7.8              
2 川崎 9.8 17.6              
3 神奈川 9.7 27.3              
4 保土ヶ谷 4.9 32.2 32.2 1 3月16日 ホテル プラム/コスモY   045-314-3111 5,400
5 戸塚 8.8 41              
6 藤沢 7.8 48.8              
7 平塚 13.7 62.5         東横イン湘南平塚駅北口 朝食 0463-27-1044 4,980
8 大磯 2.9 65.4 33.2 2 3月17日      
9 小田原 15.6 81              
10 箱根 16.5 97.5 32.1 3 3月18日 芦ノ湖グリーンハウス   0460-83-6078 5,460
11 三島 14.7 112.2              
12 沼津 5.8 118              
13 5.9 123.9 26.4 4 3月19日 三交イン沼津駅前 朝食 055-954-3577 4,500
14 吉原 11.7 135.6           7:00  
15 蒲原 11.1 146.7              
16 由比 3.9 150.6              
17 興津 9.1 159.7 35.8 5 3月20日 クア・アンド・ホテル   054-369-6111 5,300
18 江尻 4.1 163.8              
19 府中 10.5 174.3              
20 丸子 5.6 179.9              
21 岡部 7.8 187.7              
22 藤枝 6.7 194.4 34.7 6 3月21日 ホテルルートイン藤枝駅北 朝食 054-645-8000 5,400
23 島田 8.6 203              
24 金谷 3.9 206.9              
25 日坂 6.5 213.4              
26 掛川 7 220.4              
27 袋井 9.5 229.9 35.5 7 3月22日 袋井プリンセスホテル   0538-43-1111 5,700
28 見附 5.8 235.7              
29 浜松 16.4 252.1         コンフォートホテル浜松 朝食 053-450-6111 4,600
30 舞阪 10.8 262.9 33 8 3月23日   6:30  
31 新居 5.9 268.8              
32 白須賀 6.5 275.3              
33 二川 5.7 281              
34 吉田 6.1 287.1              
35 御油 10.2 297.3              
36 赤坂 1.7 299 36.1 9 3月24日 大橋屋 二食 0533-87-2450 10,500
37 藤川 8.8 307.8              
38 岡崎 6.6 314.4              
39 池鯉鮒 14.9 329.3 32 10 3月25日 ホテルクラウンパレス知立 バイキング 0566-85-3939 6,300
40 鳴海 11 340.3           7:00  
41 6.5 346.8              
42 桑名 0 346.8              
43 四日市 12.5 359.3 30 11 3月26日 ホテルエコノ四日市 朝食 059-350-0311 5,145
44 石薬師 10.7 370              
45 庄野 2.7 372.7              
46 亀山 7.8 380.5              
47 5.8 386.3 27 12 3月27日 国民宿舎関ロッジ   0595-96-0029 6,720
48 坂下 6.5 392.8              
49 土山 9.7 402.5              
50 水口 10.5 413              
51 石部 13.7 426.7 40.4 13 3月28日 甲西アートホテル 朝食 0748-72-6060 5,500
52 草津 11.7 438.4              
53 大津 14.3 452.7              
  三条大橋 11.7 464.4 37.7 14 3月29日 KOTO HOTEL KYOTO 朝食 075-751-8788 5,450


4.13  東海道五十三次てくてく歩き


 忘れないうちにと思い、東海道の道中記、『東海道てくてくある記』をまとめました。    東海道てくてくある記
東海道のおすすめハイキングコースを七つ選びました。   東海道お勧め七つのコース
東海道の代表的な松並木七選です。   東海道の松並木七選

東海道五十三次を下記の行程通りに歩いてきました。とりあえず写真をまとめました。 新東海道五十三次の写真   東海道の松並木の写真  箱根八里の写真
行程、日程、実際にかかった時間、宿泊場所などを一覧にしたものです。

宿場   宿間 累計 一日     着/出発 宿 食事 TEL 宿賃
  日本橋 0 0         9:35      
1 品川 7.8 7.8         11:25      
2 川崎 9.8 17.6         14:10      
3 神奈川 9.7 27.3         16:50      
4 保土ヶ谷 4.9 32.2 32.2 1 3月16日 17:50/6:45 ホテル プラム/コスモY   045-314-3111 5,400
5 戸塚 8.8 41         9:20      
6 藤沢 7.8 48.8         12:00      
7 平塚 13.7 62.5         17:00/5:20 東横イン湘南平塚駅北口 朝付 0463-27-1044 4,980
8 大磯 2.9 65.4 33.2 2 3月17日 6:30      
9 小田原 15.6 81         11:00      
10 箱根 16.5 97.5 32.1 3 3月18日 17:00/5:30 芦ノ湖グリーンハウス   0460-83-6078 5,960
11 三島 14.7 112.2         10:30      
12 沼津 5.8 118         13:10      
13 5.9 123.9 26.4 4 3月19日 3:20/5:10 三交イン沼津駅前 朝付 055-954-3577 4,500
14 吉原 11.7 135.6         8:10      
15 蒲原 11.1 146.7         12:05      
16 由比 3.9 150.6         13:35      
17 興津 9.1 159.7 35.8 5 3月20日 16:30/5:00 クア・アンド・ホテル   054-369-6111 5,300
18 江尻 4.1 163.8         6:30      
19 府中 10.5 174.3         10:00      
20 丸子 5.6 179.9         12:30      
21 岡部 7.8 187.7         15:10      
22 藤枝 6.7 194.4 34.7 6 3月21日 17:05/5:00 ホテルルートイン藤枝駅北 朝付 054-645-8000 5,400
23 島田 8.6 203         7:15      
24 金谷 3.9 206.9         9:00      
25 日坂 6.5 213.4         11:15      
26 掛川 7 220.4         13:20      
27 袋井 9.5 229.9 35.5 7 3月22日 16:30/5:00 袋井プリンセスホテル   0538-43-1111 5,700
28 見附 5.8 235.7         7:10      
29 浜松 16.4 252.1         11:45 コンフォートホテル浜松 朝付 053-450-6111 4,600
30 舞阪 10.8 262.9 33 8 3月23日 15:00/6:15      
31 新居 5.9 268.8         7:40      
32 白須賀 6.5 275.3         9:20      
33 二川 5.7 281         10:55      
34 吉田 6.1 287.1         13:40      
35 御油 10.2 297.3         17:05      
36 赤坂 1.7 299 36.1 9 3月24日 17:30/5:15 大橋屋 夕食 0533-87-2450 9,450
37 藤川 8.8 307.8         8:00      
38 岡崎 6.6 314.4         10:30      
39 池鯉鮒 14.9 329.3 32 10 3月25日 15:30/5:30 ホテルクラウンパレス知立   0566-85-3939 5,300
40 鳴海 11 340.3         8:30      
41 6.5 346.8         10:45      
42 桑名 0 346.8         12:50      
43 四日市 12.5 359.3 30 11 3月26日 16:30/5:20 ホテルエコノ四日市 朝付 059-350-0311 5,145
44 石薬師 10.7 370         8:30      
45 庄野 2.7 372.7         9:35      
46 亀山 7.8 380.5         12:00      
47 5.8 386.3 27 12 3月27日 14:10/5:00 国民宿舎関ロッジ 夕食 0595-96-0029 5,880
48 坂下 6.5 392.8         6:30      
49 土山 9.7 402.5         9:45      
50 水口 10.5 413         13:10      
51 石部 13.7 426.7 40.4 13 3月28日 16:25/5:45 甲西アートホテル 朝付 0748-72-6060 5,500
52 草津 11.7 438.4         8:50      
53 大津 14.3 452.7         13:45      
  三条大橋 11.7 464.4 37.7 14 3月29日 16:50 KOTO HOTEL KYOTO 朝食 075-751-8788 5,450
                        78,565


4.30 

 4月とはいえ、先週まではまだ寒く、床暖を入れていました。このところようやく暖かくなり、裏の桜が満開をむかえました。

桜が咲き始めると、畑仕事が本格化します。毎日、畑の畝つくり、マルチ張り、植えつけで忙しくなります。
庭も、クリスマスローズ、水仙、プルナモリア、ビオラが咲き、多年草の芽が出始め、何もなかった土の庭が一変して花と緑で覆われ始めました。一年でも、もっともすがすがしい時です。植物の背がまだ低いので、さっぱりとした美しさがあります。冬の間に寒さで枯れたり、株が大きく育ちすぎたり、根が伸びて蔓延りすぎたりするので、植え替えや整理に忙しくなります。園芸店で、新しい苗を買ってくる楽しみもあります。

マレイ・ペライアのモーツァルト・ピアノ協奏曲全集を聴いています。明晰なモーツァルトだと思います。二台のピアノのためと、三台のピアノのための協奏曲をルプーと協演していますが、この二曲がこんなに魅力的な曲だとはいままで気が付きませんでした。残念ながら録音がいまいちです。どうもソニーはだめですね。


5.7 

 5月になっても、4℃くらいまで冷える朝があるので、油断はできません。うっかりすると、苗が霜でやられてしまいます。5月中旬までは、寒さ対策が必要です。

マレイ・ペライアのモーツァルト・ピアノ協奏曲全集、マッケラスのモーツァルト・交響曲全集、アラウのモーツァルト・ピアノソナタ全集、ペーター・ニューマンのモーツァルト・ミサ全集を聴いています。いずれも冬の間に、お買得のボックス版CDをインターネットで買ったものです。

アラウのモーツァルトは、ピレシュや内田光子とはまた違った、独特の個性的な強さの目立つ演奏ですが、実にいいです。聞きなれた可愛らしいモーツァルトのソナタが格調高くなります。モーツァルトのミサ曲は、宗教臭くなく、オペラのなかの合唱曲のような感じで聴けるのがいいです。教会の典礼の規則に則って書かれているのでしょうが、抹香臭くなく、音楽的な美しさが際立っています。マッケラスの演奏も、レバインとウィーンフィルによる演奏よりも、気持ちが込められていて、真剣さが伝わってくるのが好ましく感じられます。モーツァルトの演奏は、ウィーンフィルやベルリンフィルといったメジャーなオーケストラよりも、イギリスやプラハの室内管弦楽団の演奏の方がしっくりくるような気がいます。

 

5.28 

  庭は初夏の日差しを浴びて輝いています。大手毬、藤、勿忘草、ビオラ、オダマキ、芍薬などが、次々と咲いて今満開です。

5月26日に、今年初めての登山に行ってきました。国師ヶ岳に行くつもりが、途中で林道がまだ閉鎖されていて、6月1日にならないと開通しないことを知りました。ビックリ仰天して、そこから行ける山を慌てて探しました。雁坂峠から雁坂嶺が近いので、そこへ行くことに。時間はすでに9時ですが、山頂までは3時間とのことで、なんとかなりそうです。西沢渓谷の新緑は目に眩いほどでした。登るにつれて、新緑は芽吹きに変わり、明るい緑、黄色がかった緑、赤い新芽が入りまじり、言葉には表せないほどの美しさに感嘆の声を出しっぱなしでした。声を出したのは、私ではなく、家内の方です。このときの写真はこちらをご覧ください。雁坂峠、雁坂嶺

 

6.14

 庭に興味を持ち始めてから二十年になりますが、ようやく庭らしくなってきました。今年は今までで最高の出来です。アメリカのガーデナーで有名な故ターサ・チューダも、庭が完成するのに十三年は必要だと言っていました。今その意味がよく分かります。試行錯誤を繰り返し、何度も植え替えをし、数えられないくらいの植物を枯らし、ようやく庭に合う植物と合わない植物がわかるようになり、植物の花を咲かせる時期とその時の配色、形の統一、葉の色の組み合わせなど、いくつもの要素を調和させることで庭が出来上がってきます。なかなか奥の深い世界です。
 庭は、今年はうまくいっても、来年が同じようにうまくいくとは限りません。ちょっとでも手を抜くと、すぐにもとの荒れた姿に戻ってしまいます。一度限りの刹那の美という点では、音楽と共通したものがあります。また色の調和、形の組み合わせ、造形の美という点では、絵画にも通じるところがあります。つくり手の個性や感性に従って、それぞれ趣の異なる庭になる点でも、芸術作品や工芸品と似たところがあります。
 イングリッシュ・ガーデンを真似ることが多いのですが、日本にはイギリス以上の古くからの園芸の歴史と、芸術ともいえる日本庭園の伝統があります。庭はその国の自然風土から離れることはできませんから、イングリッシュ・ガーデンを真似するような愚は犯したくありません。イギリスでよく育つ植物と、日本で良く育つ植物は当然違うわけです。日本庭園の伝統を基礎に、イングリッシュ・ガーデンの良さも取り入れて、自分なりのガーデンを追求していきたいと思っているところです。

 

6.18

 入笠山に登ってきました。家の西にある2000m弱の山で、南アルプス山系の最北端に位置します。花の百名山としても知られ、この季節はスズランの群生を見に訪れる観光客やハイカーで賑わいます。スズランの他には、九輪草やレンゲツツジ、小梨の花が見られます。尾根には、小さいけれどもとても素敵な湿原があります。湿原には四季折々の草花が咲き、心を和ませてくれます。
 湿原までは、スキー場のロープウェイで簡単に行けます。中腹からの登山道を登っても、1時間程度です。湿原から30分で、入笠山の山頂に至ります。山頂からの眺めは素晴らしく、東には八ヶ岳が広がり、南には富士山、南アルプス、西には中央アルプス、御嶽山、北西には北アルプス、北には諏訪湖と、360度遮るものは何もないパノラマを満喫できます。

 

7.7  「自然」についてのとりとめもない話

 私の住んでいる富士見は、周囲を山で囲まれ、緑にすっぽりと包まれています。「自然環境」に恵まれたところに住んでいると言えるかもしれません。しかし、よく考えてみると、本当の自然ではないような気もします。標高2千メートル以上の山や尾根筋は原生林で覆われています。これを本当の自然だとすれば、それ以下の地帯は、戦後に植えられた植林地帯です。圧倒的に、唐松の森林が広がっています。しかも手入れが行き届かず、荒れた感じの森林が多く見られます。植生が単一だと、動植物も限られるのか、林の中に入っても美しさや自然の霊気のようなものは何も感じられません。唐松林ほどつまらない林はありません。

 昔、「唐松の林を過ぎて 唐松の・・・」というロマンチックな詩が流行りましたが、この詩人は都会の人で、本当の自然を知らなかったんだろうと思います。
 
 先日登った入笠山も、山腹はほとんどが唐松林です。この唐松を伐採して大規模開発を行い、パノラマスキー場ができています。冬はスキーとスノーボード、春から秋はマウンテンバイク・コースになります。麓から山頂までゴンドラがあり、通年営業をしているので、ハイカーや観光客も少なくありません。スキー場が出来た時、自然破壊だと反対も多かったようですが、今はすっかり「自然」に馴染んでいるようです。もともとあった山の自然を壊し、唐松を植林した山ですから、その唐松を伐採したところで、今さら自然破壊と言えるのかどうかという気がしないでもありません。
 
 入笠山に自生するスズランも、自然破壊をしてスキー場にした跡地に自然繁殖したものです。樹木のないところは全てが自然破壊の跡ということになります。それが今の「自然」として、保護の対象になっているわけですから、人間の勝手ということになります。
 
 最近は日本鹿が増えて、食害が深刻化しています。入笠山も鹿の侵入を防ぐネットを張り、湿原とスズランの群生地を保護しています。かつては猟師が鹿を捕っていたので、数が制限されていましたが、現在は猟師がいなくなり、その結果、鹿の数が爆発的に増えだし、「自然破壊」の深刻な問題になりつつあります。我が家の周辺の林にも鹿がいるらしく、ときおり見かけることがあります。南アルプスでは鹿による食害で高山植物が危機的な状況にあるようです。八ヶ岳でも、冬になると鹿が樹皮を食べるため、樹皮を傷つけられた樹は枯れてしまい、このままだと高山の尾根筋は丸裸になってしまうと危惧されています。

 人間と、「自然」と、動物が、どう折り合いをつけていくのか、なかなか厄介な問題です。稲作や林業や猟が盛んだったころの日本は、田園、里山、森林、野生動物の間に絶妙なバランスが保たれていました。現代はそれが全く崩れてしまい、それに代わる新しい秩序が作られることもなく、荒れるのにまかされているようです。これを解決するには、われわれの生活態度を改め、少しくらい高くても安全で美味しい国産の農産物を買い、地元で採れる野菜やコメを食べ、日本の農業を復活させて、お百姓さんになる若い人たちがどんどん出てくるようにするしかないのではないかと、考えるようになりました。

 

8.6  南アルプス登山

 南アルプスの塩見岳に登ってきました。昨年、北岳と間ノ岳に登った時、間ノ岳から見た塩見岳の堂々たる姿に魅かれて、ぜひ登ってみたいと思ったのがきっかけです。南アルプスも北の方から一つずつ登ってきたことになります。次は、聖岳、赤石岳、荒川岳に挑戦です。
 南アルプスは、北アルプスのような華やかさや、アルペン的な雰囲気には欠けますが、スケールが大きく、奥深い点では随一です。塩見岳も、南アルプスの魅力を全て備えている素晴らしい山です。人が少なく、静かで、登山道が美しく、眺望がよく、アプローチが長くて山が深く、山の魅力がすべて詰まっています。登山口は、長野県の大鹿村です。私の家から直線距離では50Kmほどですが、南アルプスを迂回しなければならないので、中央道経由でも車で3時間かかります。
 麓の大鹿村にある赤石荘という温泉に一泊し、朝5時から登り始め、山頂の肩にある塩見小屋に2時ころ着きました。塩見小屋は定員30名のちっぽけな小屋で、馬小屋と言った方がいいような建物です。でも、内部は清潔です。この日は幸い登山者が少なく、宿泊したのは20名でした。翌日の予約者は40名と言っていましたからラッキーでした。食事は簡素ですが、心がこもっていておいしくいただきました。小屋番は、若い女性が二人だけという、珍しい小屋です。水がないため、手も洗うことはできませんが、トイレはビニール袋にする方式で、始めはどんなものかと不安でしたが、経験してみる実に快適でした。匂いもなく、今までの山小屋の中で最も清潔なトイレでした。使用済みのビニール袋は、ヘリコプターで下すそうですから大変なことです。
 好天に恵まれ、山頂からの眺望は素晴らしいの一言でした。南アルプスの山々はもちろんのこと、富士山、北アルプス、中央アルプス、御嶽山、八ヶ岳、奥秩父などの眺望を楽しみました。特に富士山は、程よい距離にあるため、ちょうど良い大きさに見えます。頂上では1時間ほど眺めを楽しみ、2時前に登山口に無事下山しました。登りでは霧で眺望が限られていましたが、下りでは眺めを楽しみながら歩くことができました。天気が良ければ、三伏峠までは樹林帯ですが、三伏峠から三伏山、本谷山あたりでは中央アルプス、北アルプス、仙丈岳、白峰三山、塩見岳などを眺めながら歩くことができる楽しいコースです。

 

8.18  エクサン・プロバンス音楽祭2012の『フィガロ』

 NHK BSのプレミアム・シアターで、去る7月12日に、エクサン・プロバンス音楽祭で上演されたモーツァルトの『フィガロの結婚』を見ました。貴族の館ではなく、現代のオフィスを舞台にした現代的な演出ですが、洗練されていて、これはこれで説得力があり、筋の運びにも工夫が凝らされていて不自然さがなく、心から楽しめる演奏でした。演出はリシャール・ブリュネルです。指揮者は、ジュレミー・ロレールという若手で、オケもルセルクル・ドゥ・ラルモーという聞いたことのない管弦楽団ですが、なかなかの好演奏でした。歌手は全員が美男美女で、歌の細部は難点もありましたが、それ以上に大変楽しく聞くことができました。全体として、成功した『フィガロ』と言えると思います。
 劇場でオペラを見る場合には、歌がうまいことが絶対条件で、この美男美女であることはそれほど重要ではありませんが、DVDやテレビでは、常に歌手をアップで見ることになりますから、役柄に合った容貌であることが絶対に必要です。これは、映画と同じことです。伯爵のパウロ・ショット、伯爵夫人のマリン・ビストレム、フィガロのカイル・ケテルセン、スザンナのパトリシア・プティボン、ケルビーのケイト・レンジー、それにそのほかの役も、見事に役柄にはまっていました。いろいろなDVDを見ましたが、ほとんどが歌唱力を最優先にしますから、音楽的には成功しても、ドラマとしては今一つということが少なくありません。DVDは本当に難しいと思います。その点では、このエクサン・プロバンス音楽祭2012の『フィガロ』は、大成功と言えるのではないでしょうか。
 2011年のエクサン・プロバンス音楽祭は『椿姫』でしたが、これも以前にNHK BSのプレミアム・シアターで見ました。これはフレイ・ラングレ指揮のロンドンフィルでしたが、ヴィオレッタ役のナタリー・デセイやアルフレッド役のチャールズ・カストロノーヴァは、いずれも役柄にぴったりの美人とイクメンでありました。この『椿姫』も、現代的な演出ですが、シンプルで不自然さのなく、よくできていました。演出は、ジャン・フランソワ・シヴァディエです。
 エクサン・プロバンス音楽祭は、いかにもフランスらしい、洗練されてどこかおしゃれな雰囲気が特徴のようです。来年が楽しみです。

 

9.2  ザルツブルク音楽祭2012の『ラ・ボエーム』

 NHK BSのプレミアム・シアターで、去る8月1日に行われたザルツブルク音楽祭の『ボエーム』を見ました。言うまでもなく、プッチーニの代表的なオペラです。今までも、テレビやCDやDVDで、幾つかの公演を見たり聞いたりしていますが、その中でも、この『ボエーム』は出色の出来だったと思います。
 カラヤンの『ボエーム』は、全体的に素晴らしい演奏だと思いますが、ムゼッタのアリアだけはどうもいただけず、これで台無しにしています。私の持っているDVDは、ブルーノ・バルトレッティ指揮、ミラノ・スカラ座管弦楽団によるもので、演奏も歌も良く、フランコ・ゼッフィレッリの演出もオーソドックスでなかなかよいものす。しかし、顔中が口のようなミミ役のクリスティーナ・ガイヤルド・ドマスや韓国人のムゼッタ役のヘイ・キュン・ホンは、歌はいいのですが、目についてきます。
 その点、このザルツブルク音楽祭の『ボエームは』、役どころにぴったりはまったキャストで、不満がありません。演出も最近の抽象的な舞台ですが、色彩が豊かで、いかにもパリを思わせる、おしゃれで洗練された配色に溢れています。舞台装置が立体的で、これがドラマの進展を助けています。フランス的なセンスに溢れる家具や小物のガラクタが散乱した舞台造りですが、これはこれで説得力のあるものでした。ドラマがテンポよく自然に展開するところにも、演出の工夫が表れているようです。役柄では、ミミ役のアンナ・ネトレプコが突出しています。相手役の詩人ロドルフォを演じるピョートル・ベチャワも、嫌みのない好青年という感じで、ぴったりの役だったと思います。ムゼッタ役のニーノ・マチャイゼも役にはまっていました。ミミ、ロドルフォ、ムゼッタの三人ともぴったり揃うことは稀なことです。演奏は、ダニエル・ガッティ指揮のウィーン・フィル、演出はダミアーノ・ミキエレットです。

 

9.22  モーツァルトとの『レクイエム』とベートーベンの『荘厳ミサ曲』

 NHK BSのプレミアム・シアターで、ルッツェルン音楽祭のアバド指揮によるモーツァルトの『レクイエム』と、ロイヤル・コンセルト・ヘボーでのアーノンクール指揮によるベートーベンの『荘厳ミサ曲』を見ました。
 言わずと知れた名曲とされる曲ですが、私にはすんなりと受け入れられない曲でもあります。と言いますのは、まず『レクイエム』ですが、文句なく美しい曲です。ただし、モーツァルトが完全に作曲できたのは最初の部分だけで、残りは合唱部分と低音部分だけが自筆譜として残り、弟子のジュスマイヤーによって完成されたものです。どこまで、モーツァルトの指示に忠実なのかは、今となっては不明です。特に、最期の方の三曲は、完全に弟子の手によるものです。これは、音楽が急に平凡になるので、聞いていてもすぐにわかります。現在われわれが聴くことのできる『レクイエム』が、どこまでがモーツァルトのもので、どこからが他人の手によるものかが判然としないことが、いつも心のどこかに引っかかってしまします。そんなことをあれこれ考えずに、素直に美しい調べを聴けば良いわけですが、モーツァルトの純粋性を求める立場としては、どうも割り切れない思いに囚われてしまいます。なまじっか完成されなければよかったと思うこともあります。モーツァルトが残した部分だけを聴く。それでも、シューベルトの『未完成交響曲』のように、珠玉の名曲として残ったことでしょう。むしろ、未完の最高傑作として。
 さて、ベートーベンの『荘厳ミサ曲』ですが、実はこの曲を完全に聴くのは初めてでした。最高の音楽と評する人もいるこの曲を、今まで敬遠していました。一つは宗教音楽であることになじめなかったことと、なんとなく退屈な音楽という意識があったからです。でも、今回は字幕もついていることもあり、全曲を聴いてみることにしました。感想は、やはり退屈でした。宗教の世界ということもありますが、バッハやモーツァルトの宗教音楽は、音楽としてだけ聞いても楽しめるし、美しいと思います。でも、このベートーベンのこの大作は、私にはお経のようにしか聞こえませんでした。中身は素晴らしいのでしょうが、意味が分からないのでちんぷんかんぷんのお経のような音楽でした。時間をおいて、もう一度聞いてみようとは思います。少しは分かるようになるかもしれません。


 

10.14  秋の那須、鳥居峠と白駒池

 9月26日に、用事があって那須に行ました。富士見から車で行く場合は、蓼科の大門峠を越えて佐久に出て、佐久ICから上信越道に入り、藤岡JCTで関越道に入り、高崎JCTで北関東道に移り、岩舟JCTで東北道と合流し、那須ICで降りるというルートが最短です。8時ころ出発して、1時ころには那須の目的地に着きました。その日は那須湯本温泉に宿をとり、翌日は那須岳に登ってきました。あいにく天気が悪く、茶臼岳山頂からは雨になりましたが、活火山の荒々しい山容をたっぷりと楽しむことができました。麓から簡単に登れて、しかも本格的な山歩きが楽しめる、数少ない山の一つだと思います。朝日岳まで足を伸ばし、三本槍岳まで行くことは天気が悪いので断念しました。
 10月3日には、ニュージーランドからのお客さんを連れて、中山道を、藪原宿から奈良井宿まで、鳥居峠を越えて歩きました。紅葉はまだですが、鳥居峠のやまみちでは、栗を拾ったり、芭蕉の句にも出てくる橡の実を拾ったり、キノコを採ったりして、秋の収穫をリュックサックが一杯になるほど詰め込んで帰りました。栗は栗ごはんやマロングラッセや、そのまま茹でて食べましたが、山栗は粒は小さいものの甘味が濃く、とてもおいしかったです。キノコは味噌汁にしました。
 10月4日には、ニュージーランド人を連れて、北八ヶ岳の高見石と白駒池に行ってきました。ニュースで、白駒池の紅葉がきれいだということなので、行ってみました。白駒池だけでは物足りないので、先ず往復1時間の軽い山歩きをして高見石に登り、それから白駒池を一周してきました。池の周囲にあるドウダンツツジが真っ赤に紅葉して、それが湖面に映り、とても見事でした。
 ニュージーランド人は、10年ほど前にAETで富士見町に来ていた女性で、とうじはまだ子供っぽい女の子でしたが、今はすっかり成長して、三十三歳のレディーに成長していました。日本語もしゃべれて、美しい発音で「ハイ、ハイ」とか「おとうさん」「おかあさん」と呼んでくれましたが、それはもう今の日本人が忘れてしまった丁寧で美しい言葉でした。今の若い日本人からは失われてしまった美しい日本語が、外国人から聞くことができるとは、ちょっと考えさせられました。この逆もあるかと思い、今度から英語を話す時は、たどたどしくても美しい英語を話したいものだと思いました。 

 

10.27  「週刊朝日」と言論・表現の自由について

 今回は少し真面目な話です。
 「週刊朝日」10月26日号で、某ジャーナリストが書いた橋下徹大阪市長に関する連載記事「ハシシタ やつの本性」第1回が問題となり、掲載中止になりました。私も興味があって、図書館でこの問題の記事を読んでみました。橋本市長への個人的な憎悪と敵意に満ち、同和地区に関する不適切な記述があるなど、読んでいて不快に感じる内容でした。これでは、いくら言論の自由が保障されているとはいえ、名誉棄損あるいはプライバシーの侵害を言われても仕方がないでしょう。「週刊朝日」は非を認めて、第2回目以降の連載を中止にしました。

 この事件で、平成16年(2004年)の「週刊文春出版差し止め事件」を思い出しました。週間文春が田中真紀子の長女の離婚について書くことを知って、田中側が出版差し止め訴訟を起こし、東京地裁がこれをあっさりと(政治的圧力があったのだろうが)認めてしまったという事件です。週刊文春はすぐに上告し、東京高裁では憲法違反として、週間文春が勝訴しました。この事件に関しては、立花隆が『「言論の自由」vs.「●●●」』という本で詳しく書いています。
 このときの朝日新聞の論説は「私人のプライバシーを興味本位で暴きながら、表現の自由をその正当化に使っているのである」と、週刊誌は下らない記事を書いて、公権力の介入を招くようなことをしているという内容で、裁判所の表現の自由を侵す憲法違反を見過ごすという態度でした。読売新聞の論調も「『表現の自由』を振りかざしてプライバシーを侵害するようなことが横行すれば、かえって民主主義社会の根幹を崩しねない」というものでした。高尚な記事を扱う大新聞は、低俗な週刊誌側を軽蔑するあまり、うかつにも裁判所が憲法で保障された表現の自由を制限しているという重大な事実を見過ごしてしまったわけです。実を言うと、私も朝日新聞や読売新聞と全く同じ感想を持ちました。
 このとき、表現の自由に敏感な外国メディアは、「今後も目障りな週刊誌を黙らせようとする動きが相次げば、いずれ日本のメディア全体が腰砕けになりはしないか」、「週刊誌がおじけづいたら、誰が政治家に盾つくのかと考えると、絶望的になる。日本の新聞はあまりに臆病だから」と、出版差し止めを危機意識を持って受け止めていました。
 この出版差し止めがなぜ憲法違反になるかというと、憲法学者の佐藤教授によれば「仮処分で出版差し止めをしてしまうことは、憲法二十一条二項が厳に禁じている行政処分による検閲とみなすことができる」ということです。また、「報道の自由が民主主義社会における不可欠の要請であることに基づき、表現行為が正当な公衆の関心事であるときには、プライバシー侵害とならない」(竹田稔元高裁判事)という考え方があるからです。これには当然ながら、「表現内容、表現方法が不当なものでないこと」という条件が付きます。
 簡単に言えば、みんなが興味を持つ政治家やタレントや有名人などのスキャンダルを適切な表現で報道することは、プライバシーの侵害にはならないということです。こういう一見下劣に思われるようなことでも、表現の自由を保障することが、健全な民主主義のために必要不可欠であるというわけです。たとえば、政治家の裏側を暴くことで、不適切な政治家に政界から退場願うというような公益があるということです。
 私は、立花隆の『「言論の自由」vs.「●●●」』によって、言論の自由の本当の意味がわかりました。
 今回の週刊朝日の件は、「社会の正当な関心事」ではあったが、「表現内容、表現方法が不当なものでないこと」が守られなかったということだと思います。


 

11.10  おもしろかった二期会のオペラ公演

 二期会のオペラ公演を、NHKBSのプレミアムシアターで見ました。マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』と、レオンカヴァルロの『道化師』です。いずれも比較的ポピュラーなオペラですが、聴くのも見るのも初めてでした。特に『カヴァレリア・ルスティカーナ』は間奏曲が有名で、昔から好きな曲の一つです。
 今まで日本人によるオペラは、正直言って、何となく馬鹿にしていて、見ようとは思いませんでした。ですから今回も、それほど期待はしていませんでしたが、見てびっくり、聴いて感激。日本のオペラ公演の水準は知らない間に随分上がったなと、自分の非を恥じ入るばかりでした。
器楽では、とっくに日本人の演奏レベルは世界水準となり、国際舞台で活躍する日本人を見かけることは普通になりました。オペラ歌手でも、欧米の主要なオペラハウスで活躍するようになりました。したがって、日本人によるオペラの水準も、国際レベルになってもちっとも不思議ではないはずです。そのことに長い間気付かずにいました。最近の日本人の歌手は、声量も、声の響きも、歌唱力も、欧米人と対等以上にやっていける実力を備えています。
 両オペラとも、夫を裏切る妻の話です。類型化されたよくある話と言ってしまえばそれまでですが、妻(ローラ)に裏切られた夫(アルフィオ)が、相手の男で元ローラの恋人(トゥリッドウ)を殺すのが『カヴァレリア・ルスティカーナ』。これに対し、『道化師』の方は、四人の間の愛憎のもつれを描いた少し複雑なドラマです。一座の団長(カニオ)の妻のネッダが、夫を裏切り、若い男(シルヴィオ)と通じます。一方、ネッダに言い寄る道化師のトニオは、ネッダに冷たくあしらわれ、その腹いせにネッダの密通をカニオに密告します。妻の不倫を知り、怒りで気の狂ったカニオは、妻の浮気を再現したドラマの中で道化師を演じながら妻を刺殺してしまいます。その直後、シルビオはカニオを刺し、シルビオはカニオに刺され、つまり相打ちにより死んでしまいます。ネッダへの復讐に成功したトニオが、その三人の死の様子をじっと見ているという筋書きです。田舎芝居のドタバタ劇のような筋立てですが、どす黒い心理的な深みがあります。この二つのオペラは、ドラマの筋がわかりやすく、音楽も情緒に訴えかける聞きやすい曲で、有名な間奏曲や序曲があるので演奏機会の多いオペラです。
 両公演とも、オーケストラは東京フィルハーモニー、指揮者はパオロ・カリニャーニです。
 まず『カヴァレリア・ルスティカーナ』ですが、ローラ役の澤村翔子は「色っぽい美人」、ローラの夫アルフィオ役の松本進は「寅さん」、ローラの恋人トゥリッドゥ役の大澤一彰は「あんちゃん」、トゥリッドゥの妻サントゥッツァ役の清水華澄は「太り気味のお姉さん」といった感じでした。特に、サントゥッツァ役の清水華澄は熱演でした。美人で多少毒のある澤村翔子はカルメンを、清楚な役柄が似合いそうな清水華澄はミカエラを、純情なあんちゃんの大澤一彰はドン・フォセを演じさせたら似合いそうでした。
 次の『道化師』ですが、カニオ役の片寄純也は「ホリエモン」にどことなく似ており、ネッダ役の高橋絵理は「ぽっちゃり美人」、トニオ役の上江隼人は「中小企業のオヤジ」といった感じでした。どうしても日本人が演じると、どう逆立ちしても西洋風にはならず、知っている人のイメージと重なってしまうのは仕方ありません。この辺が難しいところです。
 演出はどちらも田尾下哲で、舞台は同じものを両オペラで使用していました。机を並べる演出も共通していて、お金を使わずに二つの公演をうまい具合にまとめ上げていました。机とか、椅子とかを並べたり動かしたりする演出は、最近の流行なのでしょうか、海外のオペラ公演でも見かけます。最近のオペラは洋の東西を問わず、省エネとコスト・ダウンが進んでいるようです

 

11.21  「能」の世界を感じさせるドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』

 ドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』を見ました。5月27日の深夜に放送されたBSプレミアムを録画しておいたのです。素晴らしいオペラでした。演出にも深い感銘を受けました。モーツァルトのオペラ以外では、このドビュッシーのオペラが最高に評価できると思いました。イタリア・オペラも、楽しく、美しいのですが、どこか薄っぺらいのに対して、このオペラは、決して聴きやすくはありませんが、深い感銘を受けます。ちょっと音楽の世界が違います。
 音楽はまさしくドビュッシーのもので、始めから終わりまで、あの取り留めもなく掴みどころのない音楽が途切れなく続きます。これが何とも美しく、美しい風景のなかをさまよい続けているようです。このオーケストラの調べに乗って、歌手は台詞ともレティタティーボともつかない、アリアでもない、歌とも言えないような節を歌い続けます。字幕付きの画面だから見続けていられますが、CDだったら、途中で投げ出してしまったでしょう。
 舞台は照明だけのシンプルなものです。青(紺色)、黒、、白だけの光の演出が見事です。歌手の動きにはドラマティックなものはなく静的で、描写的なところもなく、印象的な表現形式で貫かれています。舞台も歌手の動きも、ちょうど日本の「能」の様です。動きには「歌舞伎」の影響と思われるところも随所に見られますが、まさに「能」の世界そのものと言っていいかもしれません。歌手の奏でるものは、歌というよリも、「能」の「謡」に近いものです。そしてバックの音楽は「能楽」だとすれば、ドビュッシーのこのオペラは「能」の世界を西洋音楽のオペラに移し変えたものだと言えそうです。もちろん、全くの西洋音楽で、「謡」や「能楽」との共通性はありませんが、このオペラは伝統的なイタリアやドイツのオペラよりも、様式的には日本の「能」に近いのではないかと思います。
 モーツァルトのオペラ以外で、芸術的に優れていると思ったのは、このドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』です。

歌劇「ペレアスとメリザンド
台本/モーリス・メーテルランク
作曲/クロード・ドビュッシー

演奏/
フィリップ・ジョルダン指揮
パリ・オペラ座合唱団
パリ・オペラ座管弦楽団

配役/
ペレアス/ステファーヌ・デグー
メリザンド/エレーナ・ツァラゴワ
ゴロー/ヴァンサン・ル・テクシエ
ジュヌヴィエーヴ/アンネ・ソフィー・フォン・オッター
アルケル/フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
イニョルド/ジュリー・マトヴェ
医師/羊飼/ジェローム・ヴァルニエ


演出/ロバート・ウィルソン

2012年3月、パリ・オペラ座バスティーユ公演実況収録


 

12.10  リッカルド・ムーティーのモーツァルト交響曲40番

 いつも愛用しているCDの通信販売HMV/エルパカのマルチバイ特価、四点まとめ買いで40%引きを利用して、CDを買いました。モーツァルトのPコン20番、27番、ピレシュ/アバド、モーツァルトのピアノ・トリオ全集、クラウス/ボスコフスキー/ヒューブナー、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集、グールド、それにムーティーの交響曲全集でモーツァルト最後の6曲、シューマン全曲とブラームス全曲です。〆て6,411円。ひと昔前なら、3枚組でこの値段でしたから、円高デフレでもそれなりのメリットはあるようです。
 まだ聴き始めたところですが、リッカルド・ムーティーのモーツァルト交響曲集が大収穫でした。今までも、ワルター、ベーム、レバイン、マッケラス、等々、幾つかのCDを持っていますが、その中でもこのムーティーとウィーンフィルの組み合わせは出色です。
 先ず40番を聴いてみましたが、ワルターを聴いた時以来の感激でした。何が気にいったかというと、情感に溢れていて心に染み入る久々のモーツァルトだったからです。
 ワルターのあの甘ったるくとろけるような演奏はもう聴けないのでしょうが、最近の演奏はそれなりにきれいですが、楽譜に忠実すぎるというのか、なんとなく無機的な演奏が多いような気がしています。この前のテレビ番組で、N響を指揮するアンドレ・プレビンが面白いことを言っていました。「モーツァルトを尊敬しすぎないこと」。天才の曲だからと言って、楽譜に忠実になりすぎるな、音楽がつまらなくなる、という忠告です。どうも最近は、美しいけれど面白くないモーツァルとが多いような気がします。
 このムーティーの40番は、情感が豊かで、脈動感に溢れ、心に染み入るような演奏です。ムーティーはオペラ指揮者でもあるからでしょうか、至るところ歌心に満ちています。あのワルターの良い所を引き継いだ演奏のような気がします。音楽を聴いていると、そこから血の通ったモーツァルとが現れてきます。悲しみの、諦めの、安らぎのモーツァルとが。
 また特筆すべきはウィーンフィルの美しい響きです。このCDは、ムジーク・フェライン・ザールの音をうまく捉えています。ムーティーはウィーンフィルの良さを最大限引き出しているようですし、ウィ-ンフィルもムーティーの指揮に乗っているようです。この両者の相性がいいのでしょう。ウィーンフィルと言えども、いつも良い演奏をするとは限らないですから。とりわけ、録音の良いCDは少ないと思います。
 ちなみに、ムーティーの演奏時間は37分16秒、ワルターは24分49秒です。この13分ほどの差は、繰り返しにあります。ムーティーは第2楽章と第4楽章の展開部と再現部を繰り返しているからです。昔の演奏に繰り返しが少ないのは、LPの収録時間の制約があったからでしょうか。CDになってからは、録音時間の制約が無くなり、ソナタやシンフォニーで、提示部だけでなく展開部と再現部も繰り返す演奏が多く見られるようになりました。演奏によっては冗長になって緊張感が薄れたりしますが、ムーティーの場合は、繰り返しによってモーツァルトのシンフオニーがベートベンの大シンフォニーのように大きくなり、たっぷりと聞かしてくれます。
 ブラームスの一番も聴いてみましたが、これも良い演奏でした。フィラデルフィアの音色の美しさは格別です。ベルリンフィル/ラトル版とは好対照です。前者はムード・ミュージックのような心地良く美しい音色、いわゆるフィラデルフィア・サウンド、後者は押しつぶされてしまいそうな圧倒的で重厚な音色です。ちなみに演奏の方は、ウィーンフィル/バーンシュタイン版が一番気にいっていますが、残念なことに録音がもう一つです。サイトウキネン/小沢版も持っていますが、こちらは弦の厚みが印象的です。演奏もサイトウキネンの最盛期の演奏で、気心の知れた同窓会といった雰囲気があります。
 真冬のオーディオルームは寒くて、足が遠のきがちですが、天気の良い日は冬の日差しがたっぷりと入り暖かくなるので、残りのCDをじっくりと聴いていきたいと思っています。
 今年最後の良い買い物でした。

 

12.23  グレン・グールドのモーツァルト ピアノ・ソナタ、ハ長調、K.279

 グレン・グールドのモーツァルト・ピアノソナタ全集を聴き始めました。先ず第一番、K.279、ハ長調のソナタです。グールドらしい軽快なタッチの演奏でした。ハープシコードのような粒立ちのタッチで、装飾音も古典風です。現代ピアノの音というよりも、当時のクラビーアに近い響きを意図しているように感じます。一楽章、二楽章は中庸なテンポで、特に二楽章はロマンティックな情感に溢れ、夢見るような世界です。ところが、三楽章に入ってたまげました。そのスピードの速いこと。音についていけません。何やらわからないうちに、曲が終わってしまいました。

 グールドの解釈は独特です。最初は違和感がありますが、聴いているうちにこういう演奏もあるかなという、説得力があります。単なる独りよがりな解釈ではないことに気が付きます。誰にもできない演奏で、しかも納得させてくれる。これは真の天才にしかできない技です。グールドの奇妙と思える演奏も、聴いているうちに、ひょっとしたらモーツァルトもこういう演奏をしたかもしれないと思ったりしてしまいます。三楽章のとてつもない前代未聞の演奏も、モーツァルとが茶目っ気たっぷりに、うっかり居眠りをしている聴衆を叩き起こすために、ふざけているのではないかと思ったりしてしまいます。

 K.279、ハ長調のピアノ・ソナタは、最初の六曲連作の第一曲目で、1774年、18歳の時にザルツブルクで書かれたものです。1774年から1775年にかけてのミュンヒェン旅行のために書かれたと言われています。手紙の中でも、後からミュンヒェンに来ることになっている姉のナンネル宛に、ピアノ・ソナタの楽譜を持ってきてくれるように頼んでいます。モーツァルトは暗譜で弾いているので、自分が演奏するためではないことは明らかです。

 グールドの演奏があんまり変わっているので、比較のために他の演奏と聴き比べてみました。私の持っているピアノ・ソナタ全集は、ピレシュ、内田光子とアラウのです。

 先ずピレシュ版。かっちりと尖って、輪郭のはっきりした感じの演奏です。でも気品と優美さをもち、華やかさや瑞々しさを兼ね備えています。メリハリのあるとてもいい演奏で、私のお気に入りでもあります。

 次に、内田光子を聴きました。ピレシュと比べると、丸みと温かさが感じられます。細やかな愛情や、作曲家への愛おしみというようなものを感じます。これも大変優れた演奏です。かつてサイトウキネン・フェスティバルで小沢征爾とベートーベンのピアノ協奏曲を弾いたときに、アンコールでモーツァルトのピアノ曲(曲名はわからなかった)を弾きましたが、その時の音の美しさと演奏に魅了されました。内田光子を聴くと、何時もその時の感動が甦ってきます。
 
 最後にアラウを聴きました。アラウはまたこれらとは違っています。ゆったりとして、たっぷりとした演奏です。音も豊かで、どちらかというとロマン派の曲のように、豊かな低音を響かせています。女流ピアニストのような細やかな情感の演奏というよりは、堂々として包容力のある演奏スタイルです。尖ったところがどこにもなく、知らないうちに音楽に引きこまれて、落ち着いたゆったりとした気分に浸れます。これもまた、捨てがたい名演です。

 面白いので、演奏時間の比較をしておきます。
ピレシュ 21分22秒
アラウ  21分
内田   13分44秒
グールド 11分38秒
ピレシュとアラウが長いのは、すべて繰り返しているからです。内田光子は通常の提示部の繰り返しだけで、グールドにいたっては、繰り返しは一切無しです。ですから演奏時間はピレシュの半分しかありません。三楽章のアレグロの時間を比べると、内田光子の3分13秒に対してグールドは1分48秒です。あっという間に終わってしまう速さです。モーツァルトの時代は、一つの曲を一回聴けるかどうかですから、聴衆に理解してもらうために、繰り返しを入れたと聴いています。アンコールで、ある楽章をもう一度弾くこともあったでしょう。今日のように、CDでいくらでも聴ける時代には、繰り返しなしも簡潔でいいものです。

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